今日はイースター礼拝。その中でこんなことを話しました。
日本で「千の風になって」という歌がよく歌われているらしい。紅白でも歌われ、一時はトップチャートのナンバー1になったといいます。その歌はこんな言葉で始まります。
♪私のお墓の前で 泣かないでください。
そこに私はいません。眠ってなんかいません。
この歌がどうして日本人の心をとらえているのでしょうか。色々と考えてみました。そして、気がつかされたことは「私達の多くは誰かのお墓の前で泣いたことがあるからではないだろうか」ということです。愛する人、親しい人がお墓におさめられた。その前で涙する。多くの私達が経験することであります。しかし、そのどうしようもないことに対して、この歌はこれまで私達が聞いたことのないことを語りかけるのです「お墓の前で泣かないで下さい。私はそこにはいません」。これは私達にとって、驚きであり、もし、そうであったらという希望を持たない人は誰もいないと思います。この短い言葉がこの歌を聴く私達の心を鷲づかみにするのだと思います。
そして、この墓の前で泣くということ、それは日本人に限ったことではありませんし、ある特定の時代だけに起きることでもありません。
今日はイースターです。聖書のルカによる福音書24章1節-7節から2000年前に起きたそのイースターの朝の出来事をみてみましょう。
週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。ところが、石が墓からころがしてあるので、中にはいってみると、主イエスのからだが見当らなかった。そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着たふたりの者が、彼らに現れた。女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」。
♪私のお墓の前で、泣かないでください。
そこに私はいません。眠ってなんかいません。
この女達はこの出来事を一切合財、弟子達のもとに帰り話しました。彼女達はのんびりと帰って行ったとは思えません。彼女達は一目散に弟子たちのもとに帰ったことでしょう。そして、それを聞いたペテロとヨハネは、一目散にイエスが収められた墓に向かいました。そして、彼らもその空の墓を見て驚き、家路に戻ったと聖書は記録しています。
さて、この後、つまりペテロとヨハネが帰っていった後のことをヨハネだけが記録しています。すなわち、このヨハネとペテロが墓を後にしてからマグダラのマリアという女がこの墓に一人残っていました。彼女は意図的に残っていたのではなくて、そこに残らずにはいられなかったのでしょう。そのことがヨハネ20章11節―16節に書かれています。
しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。。
マグダラのマリアは一人、墓にいました。彼女は墓で泣いていました。私達は彼女のはりさけるような思いを同じ人間として共有できるのです。その彼女にみ使いが声をかけたのです「女よ、なぜ泣いているのか」。これは一見、人を馬鹿にしている問いかけです。この問いに彼女はこう答えることができたはずです「見て分かりませんか!」。そして、その彼女が後を振り向くと、彼女の後ろに立っている方がいて、その方も彼女に聞かれました「女よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか」。彼女がその語りかけた方が誰であるか分かった時、先に喉元まで出てきそうになった言葉は全く消え去りました。「千の風になって」は歌います。
♪私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません。眠ってなんかいません
多くの人達が口ずさむこの歌。私達の心の中にあるこの思い。「私があなたのお墓に行っても、その土の中に、あの最後に別れたあの姿のあなたがいるとは言わないで。私はここにはいません。この場所にはいないのです。だから泣かないでください。その涙を拭いてください」。
この歌の言葉を心のよりどころにされている方々よ。あなたが感じている気持ちを私達は人間として共有します。この歌にどんなにか私達が引きつかれるかということを、私達は心でしかと受け止めます。あなたが、もしこの歌に慰めを見出して、そこに希望を託していらっしゃるなら、あなたはイエス・キリストが2000年前になぜ、十字架にかかられて、復活なされたかが分かるはずです。
聖書はこの歌が生まれる2000年も前に「あなたは泣く必要はない。私はそこにはいない」と今日も私達に語りかけているのですから。
イエスはあなたのために十字架にかかり、あなたのために甦られたのです。もし、あなたがこのイエスを信じるなら、その時からあなたの心を閉ざしていた大きな石はとりのけられるのです。
「なぜ、泣いているのか。私はそこにはいないのだ!」。
ハッピー・イースター!
マック
この歌、紅白で聞きました。「いい歌だなあ」という思いと、素直に、「いい歌だ」と思いたくないような気持ちとがあって、そのままになっていた。
先生のこのメッセージ読んで、そのなんともいえない思いが、なんだか、すっきりさせられたかんじ。先生、ありがとうございます。
歌以上に、先生のメッセージが、ものすごく重く(いい意味)、心にきました。
この歌の歌詞にあるように「人はやがて風になる」ということはバイブルが言っていることではないんですね。そのあたり、ちょっと教会のサイトのメッセージではふれていますのでご覧下さい。