私達は生きている限り、色々な悲しみや試練にあう。そして、それに対して私達は色々な受け止め方をする。ある人は「あれもこれもアイツのせいだ」と思い、ある人は「俺はなんと運の悪い人間なんだ」と頭を抱える。信仰をもつ者たちは「神を疑ったり、自分の信仰が足りないのだ」などと自身を責めたりする。
内村鑑三の書いた「一日一生」を読んでいる。その中で内村はこんな言葉を書いている。
「人生の目的は神を知ることにある」
私達が試練や悲しみに向き合う時に、私達は「アイツやコイツ」のことや「自分の運や信仰」について、いつまでも思いめぐらすことはないのだ。その出来事を通して「神を知る」ということ、そこに私達の全身全霊は注がれていくべきなのだ(聖書のヨブ記の結論はここに導かれていったではないか)。そして、そのことによって「知った、気がついた」ことこそが、本当に私達を立ち上がらせてくれるものなのだ。
「知恵とはあらゆる事物を神の見地から眺められる能力をいう」 エイブラハム・へッシェル (この言葉に従えば、私達が使っている知識とか知恵という言葉の99%は本来、知恵とは呼ばれないのかもしれない)。
「永遠の命とは、唯一のまことの神でいますあなたと、また、あなたが遣わされたイエス・キリストとを知ることであります」 ヨハネ17章3節
マック

追伸:ヨハネ17章の聖書の言葉、ヘッシェルと内村の言葉、三つ揃えでストンッと我が心に落ちました。
何時も、どんな時も、どんな状況下に置かれていても、結局は 「私と神様との間の事」 なのですね。お前はどうなんだ? と何時も問われている事を再確認しました。三つ揃えでアーメンです。
setoさん
三つ揃えをご理解いただき嬉しいです。私も状況に一喜一憂することなく、じっくりと神を知ることに心を向けていきたいです。