マザー

昔、カルカッタのさびれた施設でマザーテレサに二度お会いした。年若いサリーを身につけたシスター達を見守るかのように、その最後尾に彼女は小さく座っていた。しがない日本からのバックパッカーはそんな彼女に声をかけることもできずに、ただただそのしわくちゃの横顔を眺めていた。

昨日、このマザーが生前書いたという手紙についての記事を読んだ。一言で言うなら、マザーも自分の不信仰に悩んだということ。時にマザーも自分が偽善者ではないかと考えたということ。

先日「信じられない時もあります」というメッセージを礼拝で語った。私の手元には1700ぺージにもなるバイブルがあるが、もし、聖書の中から「人間の不信仰に関する記事」を削除したら、その厚さは半分ほどになってしまうのではなかろうか。そして、さらにこれは驚くべきことだけれど、人の不信仰の記事が削除されたら、「神の人間に対する無条件の愛と恵み」もバイブルから同時に削除されてしまうのではなかろうか。そして、その時にバイブルはバイブルではなくなり、私には明日、語るメッセージが何もない・・・。

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マック

追伸:マザー、希望が全て払拭されてしまうようなあの町で、なぜ僕があなたに声をかけることができなかったか分かりますか。あなたはお気づきでなかったでしょうが、その横顔が神の愛と恵みを表していたからです。そして、その理由が今朝、分かりました。今まで以上にあなたの偉大さが分かりました。

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