「なぜ、虚無という感情があるのか、なぜ私達は虚しいと思うのか」。脳学者で活躍中の茂木健一郎さんなら脳科学の観点から色々と尊いご説明があると思うのですが、世俗牧師の私としても「世俗」と名乗らせていただくなら、世俗世界の闇の帝王、「虚無」について何かしらの見解を持っていなければならないと常日頃、考えているのであります。
そこで、思ったことは「虚しいという感情」は「GODが私達の心のドアをノックしていること」ではないかということです。すなわち、「おいおい、お主、今やっていること、ちょっと的が外れているよ。的は私だよ、私!」ということを知らせるために、私達に「あーあー虚しい」という気持ちをGODはサインとして送っているのではないでしょうか。
あのソロモン王は聖書の伝道の書で開口一番、言っているじゃーありませんか。
「空の空、空の空、いっさいは空である」(1章2節)。
そして、そのサインを嫌というほど見聞きした彼は同じ書をこう締めくくっているではないですか。
「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神をおそれ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」(12章13節)。

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