毎週、礼拝メッセージでお話しています「9つの「せい」を大切に!」シリーズの「世」について、ただ今準備中(10月7日の礼拝)。色々と考えさせられています。
「神の手さえも、働く時は汚れるのですよ。というか汚れなければ実際は働けないのです」(「神の汚れた手」 曽野綾子)。
ジーザスの手は確かにいつもキレイではなかったと思います。その手は、その働きをなすために汚れました(悪に手を染めたということじゃーありません)。それが世俗に生きるということです。ジーザスは世俗のただ中で生まれ、世俗のただ中を生き、しかし、その世俗に染まらずに、さらに勝ったもののために生きたのです。
「世俗牧師宣言!」の核心に迫るメッセージとなりそうです。

マック