急募:挫折したことのある方

神の国拡大中につき                                                                                                            

急募

求人対象:何かしらの挫折・失敗を経験した方。そこから悔い改めと共に、キリストにあって再び立ち上がらせていただいた方。

仕事内容:自分がとおった同じ試みの中にいる兄弟姉妹のために祈り、力づける。

報酬:決して朽ちることがない神からいただく宝。

Lo_gptfree05image20070922105408

Sol Deo Gloria!

マック

今日、礼拝でお話したメッセージです。                      よかったらどうぞ↓。

急募:挫折したことのある方

2009年3月1日

マルコによる福音書第14章51~52節

時に、ある若者が身に亜麻布をまとって、イエスの後について行ったが、人々が彼を捕まえようとしたので、その亜麻布を捨てて、裸で逃げて行った(マルコによる福音書第14章51~52節)。

時おり、私達は聖書の中に奇妙と思われるような記事を見つけることがあります。

今、読みましたマルコによる福音書の記事もそんな記事の一つなのです。ここに書かれていますことを、今日の状況に当てはめて言いますなら、深夜、ガウンをまとい町中を歩いていた不審な男に対して、職務質問したところ、この男はガウンを脱ぎ捨てて、そのまま全裸で逃走したということになるでしょうか。今日、この男のような状態で街中をうろついていますと、その人は犯罪者として逮捕されます。

この一人の不審な裸の若者について書いているのはマルコによる福音書だけです。そして、この一文が書かれている文章の前後を見ればお分かりになると思いますが、この裸で逃げていった奇妙な若者のことなど、そこに書き記す必要など全くないことに気がつきます。なぜなら、この記事の前後はイエス・キリストが捕えられていき、十字架にかかるというような厳粛なことが書かれているからです。ですから、このマルコ以外のマタイ、ヨハネ、ルカはこの奇妙な記事を全く記していません。

なぜこのマルコによる福音書だけにこの記事が書かれているのでしょうか。そもそもこのような出来事をなぜマルコは知っていたのでしょうか。なぜならこの「若者」こそがマルコ自身のことだと言われているからです。

この出来事の背景を少し説明しましょう。あの映画、パッションを観た方ならこの時というものがそれだけ緊迫した時であったかということが思い起こされるでしょう。しかし、そこにコメディーではあるまいし、素っ裸で逃げていく男が出てくるのです。こんなに情けない、惨めな、恥ずかしい一場面はないのです。できたら、そんな出来事、誰にも知られたくないし、そのまま永久に隠し通しておきたいことです。しかし、マルコはその時から2000年間、人類に笑われようが、あきれられようがその自分のことを記録したのです。

きっと彼はイエスが捕えられたということを聞いて、きちんと着替えることもせずに、亜麻布を身にまとって、義勇心と共に外に飛び出して、イエスの後をついていったのでしょう。しかし、転じて人々が彼を捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げたというわけです。

これはマルコにとっては大きな大きな挫折であったに違いありません。私達はイエスの十字架においてあのペテロの挫折と失敗をまず第一に思い浮かべますが、このような苦い経験をしていたのはペテロだけではなかったのです。

このマルコという人について聖書の中にあまり情報はないのですが、今日は限られた記録から少しそのプロファイルを見ていきたいと思います。

まず使徒行伝12章12節-14節にこう記されています「ペテロはこうと分かってから、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家に行った。その家には大勢の人が集まって祈っていた。彼が門の戸をたたいたところ、ロダという女中が取り次ぎに出てきたが、ペテロの声だと分かると、喜びのあまり、門を開けもしないで、家に駆け込み、ペテロが門口に立っていると報告した」。

ここからマルコは幼い時にはヨハネとも呼ばれており、彼の母親は女中を雇い、信徒の集会場に使えるほどの大きな家をもつ女性であり、またマルコ自身が脱ぎ捨てていった亜麻布は当時、大変高価なものであったということからも、彼は相当な資産家の家で育ったことが分かります。

さらにこの一文に彼の父について書かれていないところから、おそらくマルコの父は早くに亡くなられていおり、またコロサイ書においてパウロが「バルナバのいとこマルコとが、あなたがたによろしく」(コロサイ4章10節)と書いてるところから、あの使徒行伝においてキーパーソンとなっているバルナバとは親戚であったことが分かります。

すなわち、このマルコはとても裕福な家族で、幼い時から家庭を開放して集会を持っていた信心深い母に育てられ、バルナバをはじめキリストの弟子たちとも顔なじみであったと思われます。特にペテロなどは親しく彼を「わたしの子マルコ」(第一ペテロ5章13節)と呼んでいますから、格別に可愛がられたのでしょう。ですから彼がイエスが捕らえられたと聞けば、とんで行ったということも十分うかがい知れるのです。

しかし、心に溢れてくる正義感というものは、簡単に萎えてしまうことがありまして、まさしくマルコはそのような人だったようです。彼はあの裸で逃げた夜から、いったい何を考えて日々、過ごしていたのでしょうか。ただ分かるのはその心には後悔と恥ずかしさがあったということです。

しかし、彼はそのような中でもう一度、心を新たに動き出したのでしょう。失敗・挫折があっても比較的、早く気持ちを切り替えることができる、若さの特権かもしれません。その後に彼がしたこと、それは日頃親しくしていたパウロといとこにあたるバルナバと一緒に伝道旅行に出かけることにしたのです。ある意味、汚名挽回の時です。どんなにか彼ははりきったことでしょうか。断片的にそのことが使徒行伝に書かれています。

バルナバとサウロとは、その任務を果たした後、マルコと呼ばれていたヨハネを連れて、エルサレムから帰ってきた」(使徒行伝12章25節)彼らは親しくしていたマルコの母から、マルコが落ち込んでいるから彼を励まし訓練してださいというようなことを聞いていたのかもしれません。

そしてサラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を宣べ始めた。彼らはヨハネを助け手として連れていた」(使徒行伝13章5節)そして、このパウロとバルナバはマルコを連れ伝道旅行に旅立ちました。助け手とありますから、鞄持ちのような役回りだったのかもしれません。偉大な二人の伝道者の元、毎日が勉強というような日々が始まりました。

しかし、その伝道旅行が始まってそんなに時がたっていない時にこんなことが起こりました。「パウロとその一行は、パポスから船出して、パンフリアのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から身を引いて、エルサレムに帰ってしまった」(使徒行伝13章13節)

その伝道旅行中にマルコは自宅のあるエルサレムに帰ってしまったのです。何があったのかは分かりません。学者の間では今日、幾つかの理由があげられています。

ホームシック。                                   

パウロのやり方についていけない。                                     

向かう先にはマラリア、迫害があるために恐れをなした。

一度は裸で逃げ惑い、今回も彼は寂しさとか困難というものに向き合い、それを乗り越えるのではなくまた逃げたのです。育った環境に苦労がなかったために、彼の心の中に一つのことを成し遂げるような底力というものが養われなかったのかもしれません。そして、この彼の態度というものが、彼の上司にあたるパウロとバルナバの関係にも大きな変化を与えました。使徒行伝15章35節‐41節にはその辺りの事情がこう記されています。

 

35パウロとバルナバとはアンテオケに滞在をつづけて、ほかの多くの人たちと共に、主の言葉を教えかつ宣べ伝えた。36幾日かの後、パウロはバルナバに言った、「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか」。37そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。

38しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。39こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、40パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。41そしてパウロは、シリヤ、キリキヤの地方をとおって、諸教会を力づけた。

今日、初めて聖書を開いた方がいるかもしれません。もしかしたら、その人は初めて訪ねた家の玄関先でその家の人たちの言い争いを見てしまったような、なんとも居心地の悪いお気持ちでいるかもしれません。でも、聖書はその初めから事、人間ということについては隠し事、きれい事は何もしていませんので、ご理解いただけたらと思うのです

この箇所はイエスの使徒たちがその福音を伝えるために伝道に出て行った第二回目の伝道旅行の時のことを書いています。そして、その時にそれまで共に行動していたパウロとバルナバは第一回の伝道旅行において途中で帰ってしまったマルコについて激しい議論をしたというのです。そして、その結果、彼らは別れ別れになってしまったというのです。

パウロはその伝道の本当の厳しさを知る者として(実際に彼は並々ならぬ困難・試練の中、宣教の道を開拓していったのです)、信仰と意志の弱いマルコを連れていくことはできないと思ったのでしょう。しかし、バルナバはその優しい性格が影響していたのでしょう、マルコが彼の身内であったというのもあったかもしれません、失敗したマルコを連れて行こうとしました。ここで詳しくは述べませんが、パウロもバルナバもどちらも正しく、どちらも持っている情熱ゆえに各々の主張をしたのです。しかし、結果はこのマルコのことで二つのグループが生まれたというのです(余談ですが、ここで伝道チームが二つに分かれることにより、宣教はさらに広められて行きました。特にバルナバが向かったクプロは後三世紀までにほぼ全島民がクリスチャンになるほどに栄えたのです。神の知恵は時に私達の思いを超えて力強くはたらきます)。

皆さん、聖書はねんごろです。お分かりになりましたようにマルコはこれが二度目の失敗なのです。しかも彼は同じような失敗、すなわちどちらも困難に立ち向かわずに逃げるということをしたのです。そして、今回は彼自身の問題だけにとどまわらず、明らかに彼を取り巻く人達を巻き込んでしまうのです。

私達は時に世の格言としてこんなことを聞きます「何かを成し遂げる人達は、失敗がなかった人ではありません。そうではなく、彼らが他の人達と違うのは、失敗に対して、倒れた数だけ立ち上がって、もう一度、その失敗に喰らいついた人達であったということです。その数が普通の人よりも多かったというだけです」。

なんとも私達を奮い立たせてくれる言葉です。これはある意味聖書の真理にも近いものがあります。しかし、聖書にはこの言葉に加えられる大切なことがあります。それは「悔い改め」ということです。この後のマルコがどのような人生を送ったか、詳しいことを私達は知ることができません。しかし、一つ確かなことがあります。それは、彼がどこかで己が失敗を悔い改めた時があっただろうということです。彼は迷惑をかけたバルナバやパウロ、仲間達に対する悔い改め、そして特に恐れをなして逃げたイエスに対して、どこかで真摯な悔い改めへと導かれたに違いありません。

父なる神の前に真摯に立とうとする者であるならば、このプロセスをウヤムヤにして、もう一度、神の前に本当の意味において立ち上がることはできないはずなのです。彼のこの二度の挫折・失敗、そしてそこからの悔い改めと彼の復活を実証する、彼の後の姿について聖書はこのようなことを記録しています。。

まず、あの激しい叱責を受けたでありましょうパウロと行動を共にしている彼の後の姿にその証拠を見ることができます。パウロはローマの獄中においてコロサイの教会に宛てて書いた手紙の中にこのような言葉を残しています「わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコと、バルナバのいとこマルコとが、あなたがたによろしく言っている。このマルコについては、もし彼があなたがたのもとに行くなら、迎えてやるようにとのさしずを、あなたがたは既に受けているはずである(コロサイ4章10節)

パウロがローマの獄中にいた時に、マルコもパウロと共に捕らえられていたのです。恐れをなして裸で逃げていた、困難に尻尾をまいて逃げいたマルコが今や、パウロと共に命の瀬戸際にいるのです。互いに同じ目的のために命を失うことを良しとするまでにその信頼関係は築き直されたのです。

また、それだけではなく、その晩年に再び獄に入れられていたパウロはテモテ第二の手紙4章11節においてこう書いているのです「マルコを連れて、一緒にきなさい。彼はわたしの務めのために役に立つから」。パウロはここで、かつて愛想をつかしていたマルコを名指しして、ここに連れてくるようにというのです。大きな挫折をしたマルコではありましたが、彼は確かに神様にお取り扱いを受け、そして揺るぎない人となったのです。実に私達の神は敗れた者を豊かにお用いになる方なのです。

それではそのきっかけはどこにあったのでしょうか。伝承によればマルコは先にも触れましたように「わたしの子マルコ」と呼ばれたペテロの行く所どこにでもついていったようです。そして、ペテロの語る福音を通訳して回ったといいます。そして、その言葉を聴きながらこのマルコによる福音書を書いたというのです。

皆さん、ここでピンときませんか。なぜマルコはペテロと行動を共にしたのでしょうか。お分かりですね。ペテロもマルコと同じ経験をしているからです。すなわち、埋め合わせることができないような挫折を彼も経験しているからです。すなわち「あなたに死んでもついていきます」とイエスに向かって言ったペテロは三度、イエスを「知らない」と言ったのです。そのような意味で彼も逃げた人なのです。マルコは二度逃げましたが、ペテロが三度イエスを拒んだということにおいて、それはマルコ以上の挫折であったに違いありません。実にここにかつて向き合うべきものから逃げた人間が、同じように向き合うべきものから逃げでしまった人間を励ますということが起きているのです。

皆さん、ペテロがイエスを三度、否む前にイエスが彼に話しておられたお言葉をご存知ですよね。イエスは彼の悲しい挫折・失敗が起こる前から不思議なことをペテロに向かって言っておられました「シモン、シモン(これはペテロのことです)、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22章31節-32節)。

ペテロがこのキリストの言葉を思い起こし、そしてこの「立ち直った時には、あなたの兄弟を励ましてあげなさい」という言葉を一番最初に実践した人こそが我が子のように可愛いマルコであったのです。そして、マルコは何度も何度もペテロの失敗談を聞いたに違いありません。自分以上の挫折者と共に過ごして、その経験を日々聞いていたのですから、彼は自分が素っ裸で逃げたなんて本来恥ずかしくて人に明かせないようなことすら自らの書に書き記すということができたのです。

皆さん、私は時々牧師としてあらゆる経験をできたらと思うことがあります。しかし、私は願ったところで、自分で胆石になったり、盲腸にはなれません(これからなるかもしれませんが)。まだ、今のところ私は伴侶や家族を失ってもいません。これも無理してできるものではありません。しかし、私達の周りにはそのようなことで悲しむ苦しむ人達がいます。

腰痛に苦しむ人を一番理解できる人は腰痛を経験している人です。伴侶に先立たれた人の気持ちが一番理解できる人は伴侶に先立たれたことを経験している人です。償うことができないような失敗をした人の気持ちを本当に分かるのは同じ失敗をした人です。同じように挫折した人が、同じような挫折をしている人を励まし、立たせることができるのです。

マルコはその晩年、エジプトのアレキサンドリアにて福音を伝え、最後は首に縄をかけられ、路上を引き回されたあげく体をばらばらにされて殉教したと言われています。かつて二度も逃げ出したマルコは確かに変えられたのです。そして、彼もペテロのように、自分の挫折を話しては回りの人達を励ましていたに違いありません。そして気がついてみたら、自分の偉大な師も到達できなかった遥か彼方のエジプトにまでイエス・キリストを宣べ伝える人となっていたのです。

皆さん、誰でも挫折や失敗はします。そして、それは乗り越えられないようなものではありません。私達は神にあって、それを乗り越えることができます。その挫折を悔い改め、それを踏み台として生きていくことができるのです。その挫折がその人の力となり、他の人を再び立ち上がらせることができるような器として神様は私達を用いてくださるのです。ですから、今日、主の御名のもとに皆さんに神の国に生きる人材を募集したいのです。

急募

求人対象:何かしらの挫折・失敗を経験した方。

そこから悔い改めと共に、キリストにあって再び立ち上がらせていただいた方。

仕事内容:自分が通った同じ試みの中にいる兄弟姉妹のために祈り、力づける。

報酬:決して朽ちることがない神から直々にいただく宝。

その内容はそれぞれ異なるでしょう。アメリカに初めて渡ってきた時に、その慣れない生活に打ちのめされてしまった人はいませんか。結婚生活において、色々な問題を乗り越えて今日あるという方いませんか。子育てをすることによって、それまでは人生そこそこうまくいっていたのに、初めて自分の意思とか努力が全く通用しないということを知ったという方いませんか。伴侶に先立たれて、涙の日々を過ごしたという方いませんか。

今日も海を越えてこの国にやってくる日本人がいます。結婚生活を今月始めたという方、そして既にもうその関係がギクシャクしているという方もいるかもしれない。子育てで完全に打ちのめされてしまっているという方もいるでしょう。愛する者の思い出と共に心閉ざして生きている方もいるでしょう。

そんな方々は何を必要としているのでしょうか。優秀なカウンセラーでしょうか。

コミュニティーのプログラムでしょうか。それらも大切です。しかし、一番必要とするのは、かつて同じところを通ったあなたなのです。今日、主のためにこの募集に答える人は誰でしょうか?神の国の福音はこのような人達によってこの世界に広がっていくのです。

最後にあのペテロに語られたイエスの言葉を私達に語られている言葉として読んで終わりたいと思います。

シモン、シモン(これはペテロのことです)、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい

お祈りしましょう。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村 ↑↑ キリスト教ブログランキングに参加しています。
よろしければ応援クリックをお願いします。

急募:挫折したことのある方」への6件のフィードバック

  1. 「神の国拡大中につき」というのが素晴らしいと思いました。
    メッセージありがとうございました。

  2. かまたさん
    こんなの日系スーパーの掲示板にはりたいですね。大学キャンパスの掲示板にいかがですか。

  3. ネットのハローワーク(求人案内)に出したいくらいです!!
    わたくし、応募いたしますわ!!
    報酬はビルゲイツにも負けないほど、いいえ勝ってすごいですものね!!
    即採用されていると思いますので、今から働きます!祈ります!!

  4. たべすぎさん
    即決、採用![E:smile]
    だと思います(私が雇用主ではありませんので)。オフィスアワー、残業はありません。フレキシブルに大いにおはたらきください。もちろん国境を越えてのはたらきも有効です!

  5. 求人に応募します。
    正に私のことです。
    私は、大きな失敗をしてしまいました。
    とりかえしのつかない事です。
    つぐなうこともできません。
    ヘブル 10:29にあるように私の罪は後の世において重い処罰が、待っていると考えていました。
    しかし、信仰は捨てられず、というか不思議な事に一度失ったと思っていましたが、また与えられたのです。
    そういう訳で、神の救いは信じていても今から自分はどのように生きていくべきか思い悩み、神様に祈り求めていました。
    今日このメッセージに出会って、ルカ 22章31、32の御言葉を与えられて心から感謝いたします。

  6. 娘ロバさん
    私達の失敗や罪が私達に対する神様の愛を弱めることはできません。
    私はあのイエスを裏切ったユダすら、心から悔い改めるならもう一度生きることができたと思います。
    娘ロバさんの失敗が必ず誰かを励まし、誰かを立ち上がらせることができると信じています(聖書中の多くの人達は、そのようにして用いられていきました)。

かまたやすゆき へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください