先日、家族と「日本ではクリスマスになるとケンタッキーフライドチキンに行列ができるのか」ということが話題となりました。今から30年も昔、私の住んでいた家の側にケンタッキーがありまして、クリスマスになると店の外にまで行列ができていた光景が私の脳裏に残っていたからです。今はどうなのか分かりませんが、考えてみれば不思議な話です。「クリスマス」と「チキン」は何か関連性があるのでしょうか。あのカーネルサンダースの人形がサンタの衣装を着ているというところが大きいのでしょうか。
かつてクリスマスイブはロマンチックな夜とされ、その日に恋人とどのレストランで食事をするか、ギフトは何を送ればいいのかというようなことを特集する雑誌がありました。闇夜に輝く「キャンドル」がロマンチックなものとして受け止められたのでしょうか・・・。
多くの方達にとって、クリスマスというものは、このようなものなのかもしれません。そこで、今日は本家本元、聖書が記録しているクリスマスについて見ていきたいと思います。
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クリスマスはチキンとローソクか?
2020年12月6日
12月に入り、アドベントの二週目となりました。私達は刻一刻と今年のクリスマスに近づいています。私達は毎週、礼拝にて出エジプト記を見ておりますが、これから三回の日曜日はクリスマスに関するメッセージをお話します。
先日、家族と日本ではクリスマスになるとケンタッキーフライドチキンに行列ができるのかということが話題となりました。今から30年も昔、私が住んでいた教会の側にケンタッキーがありまして、確かにクリスマスになりますと店の外にまで行列ができていました。今はどうなのか分かりませんが、考えてみれば不思議な話です。「クリスマス」と「チキン」は何か関連性があるのでしょうか。あのカーネルサンダースの人形がそのシーズンにはサンタの衣装を着ているというところが大きいのでしょうか。
かつてクリスマスイブはロマンチックな夜とされ、その日に恋人とどのレストランで食事をするか、ギフトは何を送ればいいのかというようなことを特集する雑誌がありました。闇夜に輝く「キャンドル」がロマンチックなものとして受け止められたのでしょうか。
25年前、離島にいた時にクリスマスを迎え、キャンドルライトサービスのためにキャンドルが必要となり、町に買いに行きました。「クリスマスに使うキャンドルがほしい」と店員に聞きますと「あぁ、アメリカのお正月のロウソクですね」と言われたことが忘れられません。結局、どこに行ってもローソクがなく、諦めかけていたところ、最終的に墓参りする時に使うローソクを見つけ、それを代用としました。
多くの方達にとって、クリスマスというものは、このようなものなのかもしれません。そこで、今日は本家本元、聖書が記録しているクリスマスについて見ていきたいと思います。まずルカ2章1節‐7節を読みましょう。
1そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。2これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。3人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。4ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。6ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、7初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである(ルカ2章1節‐7節)。
このところから、まず最初にクリスマスは「歴史上の出来事」であったということをお話したいと思います。
「歴史上の出来事」
そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった(ルカ2章1節‐2節)。
今、私達の前に開かれているルカによる福音書は、その書の名の通りルカという医者によって書かれました。執筆者ルカはこれから書き記そうとする「ある出来事」に対して、よく熟慮して、そのことを書き留めようとしています。
今日の医者と当時の医者では色々な違いがあるでしょうが、今も昔も変わることなく当然、医者は患者に向き合います。その時に、その患者の症状をカルテに記録する時に最初にすることは何でしょうか。
まず最初にその患者を診察した日づけをそこに書き記すに違いありません。その記録は後にその患者が再訪してきた時に大切な情報となるからです。私達が大切な書類にサインをする時も、私達はそこに日づけを書き記します。
これらのことを怠りますと、患者の命に関わりますし、ビジネスなら大切な商談を失います。「時」を記すということは「確かにこのことは、この時に起きました」ということを示す、歴史の中に打ち込められた楔(くさび)のようなものです。
ルカはその仕事柄でしょうか、一つの出来事がいつ起きたかということに対して、注意を払う人でした。彼は日時こそつけませんでしたが、明らかにそのことが起きたということについて、歴史的な位置づけをしました。そうです、そのためにその時の皇帝と総督の名前をここに書き記しています。
これらの人たちの名前は聖書以外の文献にも出てくるもので、確かに実在した人達であり、ルカがこのように歴史的な人物を明確にすることにより、このことが起きた年代が特定されます。
このことにより、ここに記されている出来事、すなわちイエス・キリストの誕生はおとぎ話なのではなくて、この世界の歴史に確かに刻まれたものなのだということをルカは明確にしているのです。さぁ、それではこれから歴史に刻まれたその出来事についてさらにお話ししましょう。
二つ目の事、それは、クリスマスは「人間生活のただ中で起きた出来事」であったということです。
人間生活のただ中で起きた出来事
3人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。4ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった(ルカ2章3節ー5節)。
先にお話しましたようにルカは医者です。医者ですから彼は日々、体の具合の悪い人に向き合うことを仕事としていたことでしょう。私は医者ではありませんが、おそらく医者が患者と向き合い、その病気を診察する時に、色々なことを患者にたずね、患者は自分の症状を医者に話すと思います。
「どこが痛いの」「腰を痛めています」「どうしたの」「この不景気ですし、お上からの税率も上がりましたから人も雇えず、自分と家族だけで朝から晩まで、夕食を食べてからも麦を背負って働いています」。このような会話により、ルカは病気の背後にある患者の生活環境というものに敏感になっていたことでしょう。
ルカは「その日」というものを確定した後に、その出来事が普通の人間生活のただ中で起きたということを明確にしようとしています。すなわちこういうことです。「皇帝アウグストが全世界の人口調査をせよという勅令を出した」というのです。
米国も今年は国勢調査の年でした。私も自らの情報を提供しました。でもそれはあくまでも任意で、ある時期にはテレビや日系の機関紙に「国勢調査にご協力を!」という言葉をいたるところで見聞きしました。
ルカの時代、ローマ皇帝の勅令は絶対ですから、皇帝に仕える者達はその勅令を実行するために東西奔走します。そして、そのために彼らがしたことは民に住民登録をさせるということでした。この住民登録には目的がありました。すなわち、その情報を把握することにより、確実に人頭税を徴収するため、また兵役に使える人間の数を調べるためでした。
この勅令のただ中に生きていいた人が、ここに記されているヨセフとそのいいなづけのマリアです。皇帝アウグストの勅令はこの二人の生活に少なからず影響を与えました。まず皇帝の勅令を前にヨセフには選択の余地はありません。ヨセフはその決定に従わねばなりません。
彼は大工であったということですから、従事している近所の家のリノベーションを中断して、ベツレヘムに旅に出なくてはなりませんでした。ナザレからベツレヘムは約70マイル。その距離を臨月を迎える身重のマリアと移動するのですから、早くて5日、時間をかければそれ以上の日数が必要だったことでしょう。
まさか今日、身重の妻を連れて、サンディエゴからコスタメサまで徒歩で歩いていく人はいませんでしょう。しかし、そのことをしたのがこの二人なのです。いや、それはこの二人に限らず、この住民登録を果たすために旅をしている人達が当時、たくさんいたのです。言うまでもなく、その一家族、一家族に彼らなりの事情があり、苦労がありました。
今年、世界の多くの教会は一つ所に集まってクリスマスをお祝いすることができないでしょう。でも、もしそのことができるのなら、世界中でこのルカが書き残したシーンが何度、スキットとして演じられることでしょうか。
ある男の子がもじもじしながらヨセフを演じ、ある女の子がちょこちょことヨセフと共に歩くマリアを演じる。どこかで、そんな子供達をもつ夫婦の間でこんな会話があるかもしれません。「ねぇー、あなたお願いがあるの」「なんだい」「聞いてくれる」「いいよ、何だい」「今年のクリスマスの子供達の劇でロバになってほしいの」こうして、そのお父さんはねずみ色のシャツとズボンをはき、ロバのお面をかぶることになります。お父さんは小さなマリアを背負うために舞台で四つん這いになるのです。
宿屋の主人となる男の子もいるでしょう。彼に与えられた一言のセリフ、「空き部屋はないよ」、彼はそのセリフを一週間、何度も何度も口ずさみながら本番に備え、ドアがたたかれる瞬間を待つのです。
この夫婦の様を私達が演じることができるということは、2000年前のこの出来事を私達は理解しているということです。理解できるということは、彼らは異星人ではなく、時と場所は違えど、私達と同じように生き、私達と同じような苦労をしながら、家庭を守り、子を育て、ささやかな喜びや楽しみを求めていた人達であったということです。
ルカが書き記した出来事は2000年前の人間の日常のただ中で起きました。そして、私達は今、私達が直面している日常のただ中でそのことに耳を傾けているのです。
ルカは「その時」を記録しました。そして、その時の「現実世界」を書き残したのです。さぁ、それでは最後のことです。それはその時、その状況に、神が介入したということです。
神の介入
今日、見ておりますルカ書には御使いガブリエルがマリアに現れて受胎告知を告げること(ルカ1章26節‐38節)、野宿をしていた羊飼いに天使が現れてメシアの誕生について伝え、天の軍勢が現れて御使いと一緒になって神を賛美したというようなことが(ルカ2章8節‐14節)書かれています。
これらの出来事にはどれも天の使いというものがおり、このような話になりますとリアリストである医者ルカにとっても、自分の人生経験をはるかに超えた、非現実的な出来事に思われたに違いありません。
明らかにこれらのことは私たちの日常とも一線を画すものであり、このようなことに関して私たちもまるでおとぎ話のようにこの話しを受け止めます。しかし、私達が今、向き合っている書物は小説ではないということを知らなければなりません。
聖書はその一番、最初に開口一番「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1章1節)と記しています。この言葉はこの後に続く全てのことは、「神がいる」こと、「神はこの世界に関与している」ということを前提としていることを宣言しています。
そのような意味で聖書は「神」について記している書物ですから、その内容が私達が理解できる日常だけを記しているようでは、その書の目的を果たしていないことになるのです。ですから、当然、このイエス・キリストの誕生にも天が関わるような出来事が含まれているのです。
天の御使いが野宿をしていた羊飼いに光を巡り照らした時に羊飼い達にこう告げました「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。今日、ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主なるキリストである。あなたがたは幼子が布にくるまって飼葉桶に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」(ルカ2章10節-12節)。
御使いはここで「今日、ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった」と言いました。ダビデの町とは何か、ダビデとはイスラエルの二代目の王、ダビデのことでそのダビデの町とは彼の出身地、ベツレヘムのことです。
普通に読むのなら、この文章に私達が驚くことはありません。ただベツレヘムという町で起きたことがここに書かれているからです。
しかし、ここに記されている「ダビデの町に」という言葉の中に私達は「神の介入」を見るのです。なぜ?なぜなら、この時からさかのぼること約750年前、紀元前2750年にミカという預言者が書いた言葉が聖書の中に残されているからです。
『しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである』(ミカ5章2節)
ここを読む時に私達は思います。そうか、ベツレヘムからいつか偉大な王が生まれるのかと。しかし、ミカはこの人物について「その出るのは、昔から、いにしえの日からである」と書きました。
この一文は分かりにくいかもしれませんが、新共同訳聖書にはこう書かれています「彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」(新共同訳聖書:ミカ5章2節)。ミカの言葉は未来について語っていますのに、その治める者は未来に誕生するのではなく、その存在の出生は永遠の昔にさかのぼるというのです。
すなわちこの言葉は明らかにそのお方は人ではなく、永遠に関わりのある神的な存在であるということを暗示しています。そう、ミカは人ではない、永久に存在する神的な存在がベツレヘムから生まれるであろうと未来を預言しました。
さらにイスラエル二代目の王、ダビデに仕えた預言者ナタンは、神から「ダビデに告げよ」と御告げを受けたということが歴代誌上に記されています。その言葉通りにナタンはそれをダビデに伝えます。ちなみにダビデとナタンが生きた時代は、紀元前1000年ごろで、それはキリスト誕生の約1000年前なのです。
11 あなたの日が満ち、あなたの先祖たちの所へ行かねばならぬとき、わたしはあなたの子、すなわちあなたの子らのひとりを、あなたのあとに立てて、その王国を堅くする。12 彼はわたしのために家を建てるであろう。わたしは長く彼の位を堅くする。13 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。わたしは、わたしのいつくしみを、あなたのさきにあった者から取り去ったように、彼からは取り去らない。14 かえって、わたしは彼を長くわたしの家に、わたしの王国にすえおく。彼の位はとこしえに堅く立つであろう』」(歴代誌上17章11節ー14節)。
このところでナタンがダビデに告げた神の御告げは、ダビデの子孫の中にある人物が起こるということです。その者が王国を堅くするというのです。そういうことなら私達にも分かります。しかし、この御告げの最後の部分が私達の心に留まります。
これも新共同訳聖書の方が分かりやすいかもしれません。新共同訳はこう記しています『わたしは彼をとこしえに私の家とわたしの王国の中に立てる。彼の王座はとこしえに堅く据えられる』(新共同訳聖書:歴代誌上17章14節)
ナタンもミカと同じように、ここである人物について語っています。ダビデの子孫の中に、ある者が生まれる。その者に対する神のいつくしみは取り去されることはない。そして彼の位は永久に固くたつというのです。
どんなに偉大な王でもその位が永久に永続される王などは、私達の歴史には存在しないのです。人間の位に永久という期間はないからです。ですから、ここで語られているダビデの子孫もミカと同じように神的な存在なのです。
それではダビデの子孫とは誰なのか。聖書、マタイによる福音書の中に記録されている「キリストの系図」を見る時にそのことがはっきると分かります。そうです、アブラハムから始まるその系図の一番、最後にはヨセフがダビデの子孫であり、キリストはそのダビデの系図の中にあることが明確に示されているのです。
私達の人間の歴史の中に、その誕生について、その人の数百年、 1000年も前から預言されていた人は一人もいません。もし、そのような人がいるとするのなら、それは私達の人知を超えた存在であり、そう考えますのなら、イエス・キリストの誕生は実に、私達の世界に神が介入したことを意味するのです。
今日はこのイエス・キリストについて、さらにもうひとつのことをお話しましょう。天の御使いは羊飼いに語りかけました。あなたがたは幼子が布にくるまって飼葉桶に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」(ルカ2章12節)。
御使いはここで「布にくるまって飼葉桶に寝かしてある幼子」を強調し、それが「私たちに与えられるしるし」だと言いました。このことがどんな「しるし」なのでしょうか。
この「布にくるまる」という言葉を、新約聖書の原語であるギリシア語は「スパラガノー」という言葉として使っています。そして、この言葉は新約聖書の中では、二つの出来事にしか使われていない言葉なのです。一つはこのイエスの誕生、それではもう一つ、どこで使われているかご存知ですか。ルカはルカ23章53節でこの言葉を使いました。「それを取り下ろして亜麻布に包み、まだ誰も葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた」。
この言葉がいつ、どんな時のことを示しているか、お分かりかと思います。そうです、この言葉はイエス・キリストが十字架につけられ、死なれた、それを取り下ろして亜麻布に包んだという言葉なのです。
さらに当時の慣習というものを調べていきます時に分かってきますことは、イエスが生まれた家畜小屋というものは、当時、洞窟のような場所であったと言われているのです。実際に今、ベツレヘムに生きますとそのような洞窟が残されています。私達のイメージはクリスマスカードに描かれている馬小屋なのですが、考えてみれば自分の住む家を建てることさえ難儀する時代の庶民が、わざわざ家畜のために家を建てるということは稀で、彼らは自然にできたほら穴に細工をして家畜を飼っていたというのです。
ですから、この時イエスが寝かされていた場所というのも、宿屋の裏庭にあるほら穴のような場所ではなかったかと言われています。そして、そのことを思う時に、私たちは再び先ほどのルカ23章の記録を思い起こすのです。「それを取り下ろして亜麻布に包み、まだ誰も葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた」と。イエスの誕生は岩穴、最後にその体が葬られた場所も岩を掘った墓でした・・・。
このイエスの元に東方の博士達がやってきたことを皆さんは御存じだと思います。その時に彼らは何を携えてきたでしょうか。そうです、聖書によれば、彼らは黄金、乳香、没薬をイエス様に捧げたのです。
それから約33年後に墓に葬られたイエスを訪ねてきたに女性達は何を携えていたでしょうか。ルカは記しています「週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った」(ルカ24章1節)。ここで記されている香料とは当時、死体に塗ったと言われている没薬、そう博士がベイビー、ジーザスに捧げた没薬です。
イエスが誕生した時に布に包まれ、岩穴の飼葉桶に寝かされ、異教の博士は彼に没薬を捧げたということ、このことは何を指示しているのでしょうか。何のしるしなのでしょうか。そうです、キリストは生まれた時から、既に私達の罪のために十字架にかかって死なれるということを身に負うていたという、しるしなのです。
神は人間の歴史のただ中に「その時」を刻み、人間の生、病、老い、そして死という宿命を負いながらも、ささやかな喜びと楽しみと共に生きる人間の只中に飛び込まれたのです。神はこの世界に足跡を残されたのです。そして、その足跡は終始一貫、最後まで神の愛と恵に満ちていました。
イエス・キリストの誕生は世と天が繋がった瞬間であり、今を生きる私達はその時のことを思う度に、そこに希望の光を見出すのです。主にある皆さん、今日、お話したことの中に「チキン」と「ローソク」が出てきましたか。いいえ、出てきません。
今日、お話したことが本家本元のクリスマスです。この物語は私達にとりまして大昔の話です。しかし、この話は私達にとりまして新しい物語です。なぜなら、イエス・キリストは生まれ、最初から定められていたように十字架におかかりになり、復活なされ、永久に全てのものを治める王の王であり続け、私達は今もそのお方と共に日々を生きているのですから。お祈りしましょう。
本日のおもちかえり
2020年12月6日
1)かつてのあなたはクリスマスをどのように受け止めていましたか。今、あなたにとってクリスマスはどんな日ですか。
2)ルカ2章1節‐7節を読みましょう。ここでルカはクリスマスが起きた日について記録しました。なぜこのことは大切なのですか。
3)ルカ2章3節-5節を読みましょう。皇帝アウグストの勅令に従ったヨセフとマリアはどんな日々を送ったでしょうか。イスラエルの住民はどんな時を過ごしていたでしょうか。あなたは今、どんな毎日を過ごしていますか。
4)聖書は開口一番『はじめに神は天と地とを創造された』(創世記1章1節)と記しています。この言葉はこの後に続く聖書について何を私達に語りかけていますか。
5)ルカ2章10節-12節には『今日、ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった』という御使いの言葉があります。「ダビデの町」から分かることは何でしょうか(参考:ミカ5章2節、歴代誌上17章11節-14節)。
6)『あなたがたは幼子が布にくるまって飼葉桶に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである』(ルカ2章12節)。「布にくるまって」から分かることは何ですか(参考:ルカ23章53節)。
7)イエス様は馬小屋というより、自然にできた岩の穴で生まれたと言われています。このことは何を暗示していますか(参考:ルカ23章53節)。イエス様を訪ねた東方の博士は黄金、乳香、没薬をイエス様に捧げました。イエス様が死んで葬られた時に女達は何を携えて墓に向かいましたか(ルカ24章1節)。
9)2020年は私達にとって特別な一年となりました。あなたは今年、クリスマスをどんな気持ちで迎えていますか。