イスラエルにはゴラン高原という高原があります。そこは第三次中東戦争に勝利をしたイスラエルが現在、占領下に置いている土地で、イスラエル、シリア、レバノン、ヨルダンの国境に接しています。現在も国連が注意深くこの高原を見守っており、この土地から緊張が除かれることはありません。二週間ほど前にもこのゴラン高原にシリアからの攻撃がありイスラエル兵士四名が負傷し、イスラエル軍はすぐにシリアを空爆しています。数年前、この高原をわたしも尋ねましたが、日本やアメリカに暮らす者として驚いたのは行く先々に「地雷に注意」という看板が立っていたということです。
なぜイスラエルはこの土地を死守し、近隣諸国は隙さえあればこの土地を奪取しようとしているのかと言いますと、ゴラン高原自体は決して広い土地ではないのですが、高原というようにそこは高い土地で、そこにはイスラエル最高峰のヘルモン山があり(この山はイエス様の姿がペテロ、ヤコブ、ヨハネの前で変貌した山として言い伝えられています)、そのヘルモン山の雪解け水と、地中から流れる水源が低地のガリラヤ湖に流れ、降水量が極めて少ないイスラエルが生きながらえるには絶対に失ってはならない土地だからです。
ということはイスラエルに敵対する国にとってはこのイスラエルの水源であるゴラン高原を奪取することは、すなわちイスラエルを制圧するということになるのです。 同じようにとめどもなく水のように私達の口から出て来る言葉の水源は私達の心です。この水源をいかようにするのか、それが言葉を制する勘所であり、ゴラン高原奪取がイスラエルの生死に関わるように、先の御言葉に「死と生とは舌に支配される」とありましたように、私達の心を守ることは、私達の実際の生死、および私達の霊的な生死にも関わることなのです。さて、それでは私達の心はどのように制することができるのでしょうか。
本日、礼拝でお話した「日英両語メッセージ原稿」、および「本日のおもちかえり」です。↓ マック