I know Who Holds The Year Of 2010

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明日を守られるイエスさま

明日はどんな日か わたしは知らない    
晴れか嵐か曇りになるか わたしは明日を心配しない    
イエスがわたしを守られるから    
    
*明日はわたしにはわからないけど     
明日を守られるイエスがおられる 

日々のあゆみは 日々にあかるく    
肩の重荷は次第に軽い輝く太陽 涙かわかし    
仰ぐ空には 虹のかけ橋    
    
明日はどんな日かわたしは知らない 
どんな道筋が先にあるかも 
だけどわたしは心配しない 
イエスがおられる わたしのそばに 
    

一年間、ありがとうございました。                    2010年もよろしくお願いします。

マック

水と空気と世間様

沖縄の米軍基地問題について鳩山首相がオバマ大統領に「TRUST ME」と言ったにもかかわらず(言うまでもなく、この一言はとても重いです)、その後二転三転・・・、さらに続いて首相の「大統領には理解いただけたと思う」発言。これに対してクリントン長官がワシントンの日本国駐米大使を呼び出し、米国側の意向を再度確認することに・・・。

この一連のことは日本特有の「発言を水に流し」、「空気を読み損ねたこと」から出てきたのか。それとも「世間様、黒幕様の視線および体裁」から出てきたのか。このようなことが国のトップレベルで話し合われる最重要課題にも出てきてしまうのか。「日本的なるもの」と「アメリカ的なるもの」が二方、よく出ていてとても興味深く、勉強になります。

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マック

キャプテン

先日、今年の夏に洗礼を受けられたAが皆の前で話してくれた。

ヤング・カップルの彼は一家のキャプテンとして「確固たるもの」の必要を感じ、洗礼を受けたという。聞いていて「いいこと言うな~」と思った。彼はこれから米軍のオフィサー・プログラムに進もうとしている。ゆくゆくはそちらの分野でもキャプテンになろうとしている。しかし、それよりも、もっと大切な「自分の家庭におけるキャプテンの役割」を果たすためには信仰が必要だというのだ。なんと賢明な決断だろうか。

全世界のキャプテン達よ、「我が家の土台はこの上にある」というものがありますか?

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マック

ファミリー

ディオフ。

今日、家族と共に過ごしながら思いめぐらしていたことについて。

この間、「リーダーシップ」について書きましたが、こちらの牧師の間でよく聞かれるもう一つのことに「ファミリー」という言葉があります。この言葉はこちらでは水戸黄門の印籠のようなもので、この言葉を出すと、大抵のことは受け入れられます。それはそれで素晴らしいことだと思いますが、こちらで色々なことを見聞きするにつけ、「ファミリー第一」というものが必ずしも常に最善なものではないと思うようになりました。

伝道と牧会は24/7の仕事です。日本で過ごした幼少年時代、牧師をしていた母は必要とあらば、たとえそれが夜であっても、よく私を一人残して出かけていきました。確かにそのような時に寂しさというものを感じましたが、今、思えば、そのような時に「この人は自分を置いて出て行くほどに本気なのだ」ということを(よく考えたらおもしろい受け止め方ですね)、心のどこかに刻んでいたのだと思います(逆の言い方をすれば、「この親は僕のために神様のお仕事をいつでも切り上げるんだ」ということです)。

同年代で、まず確実に私と同じような幼少年時代を過ごしたであろう日本のPK (PASTOR’S KID)の仲間達の多くが今、その父母と同じ道を歩んでいます。当時の状況を思えば、「ファミリー第一」などという考え方なんて微塵もなく、がむしゃらに親達が伝道していた時代、その子供達の中から多くの献身者が出たということ、これは一考すべきことだと思います。

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マック

二人の男達

J0428021 前にも書いたと思うのですが、あることを知らされ、目から鱗というよう体験を今年はしました。

それは、聖書に出てくるノアとマリアの夫ヨセフは一言も聖書中、言葉を発していないということです(ここで必ず「えぇ~」と驚いた牧師がいるはず・・・、あれ、知らなかったのは私だけ?その後、Setoさんよりコメントあり。訂正します)。

このことを教えてくださった某国ではたらいておられるS宣教師曰く、「驚くべきことをする人というのは余計なことを話していたら気が惑わされる」というようなことを言っておられました。そうですよね~、ノアにしてもヨセフにしても、何かを語れば語るほどに親戚家族近所友人天気専門家占師赤他人王様律法学者通行人宿屋主人公衆衛生課皆様世間様婦人科医者様野次馬様国家機密情報機関様から色々なことを言われるでしょうし、彼らも人間ですから心は揺れたでしょうね。

かといって親しい者達(ノアの場合はその家族、ヨセフの場合は妻マリア)にも黙っている男でしたら、彼らが神様から与えられたミッションは一人ではできないことでしたので、それを成し遂げることはなかったことでしょうね。彼らは語るべき場所ではしっかりとその信仰と思いを伝え、愛する者達を励ましていたと思います。

そんな二人の男たちのことを考えています。然るべき時には黙り、然るべき時には話す、シンプルにいきたいですね。

マック

サンタとの遭遇!

J0440942 昨日、未明。サンタはフリーウェイの路肩にいた。そのサンタはソリには乗らず、トナカイの姿はそこにはなかった。私は沈思黙考をしながら、そのサンタの脇を過ぎた。するとバックミラー越しにサンタが動き出すのが見えた。その瞬間、サンタは私の後ろに疾風のように飛んできて、赤青のイルミネーションで私を包み、よかったら某月某日にいらっしゃいと書かれた黄色い招待状を置いて去っていった。クッキーとミルクを手渡す間もなく・・・。

約2000年前のベツレヘム・・・。その時、まさか黄色い紙を頂戴した人はいないと思うが、人々は住民票をもって忙しく動き回っていたに違いない。住民票を握りしめる人達の心中は複雑であったに違いない。そんな人間の日常のただ中にイエス・キリストは生まれた。

2009年、実に教訓に満ちた締めくくりである。この黄色い紙を、そっと暖炉の前い置いて、神様から自分へのプレゼントとしよう。 マック

追伸:転んでもただで起きることはやめよう。八時間の聴講があるらしいから、楽しいブログネタを仕入れてきます!

山頂を目指して

JOHN MAXWELLという人がいる。かつてここサンデイェゴで牧師をしていた人だ。彼は主にリーダーシップ論の権威と言われ、その著書や講演などで著名な人である。

その人の著書を日本の斉藤孝氏が訳している。斉藤氏といえば今、日本のどの書店にもその著書が山積みになっている時の人である。多忙のこの方がこのMAXWELLの本を翻訳しようというのだから、その書が斉藤氏の心を揺さぶったということは確かなことだ。

先日、洗礼を受けられた医学者であるSさんが、昨年春に一緒に行かせていただいたこの人の講演が自分にとっての一つの大切なターニング・ポイントになったと話してくださった。Sさんのはたらく分野においてもその人は世界のトップに立っている人だという。

全ての人が牧師や宣教師になる必要はないと思う。そのかわりに自分が与えられているギフトをもって、全力で世界の頂を目指して欲しい。そして、そこから自分の専門の分野について、クリスチャンのバックグラウンドから世界に向けて意見をしてほしいし、ユーモアと人間らしさをたっぷり織り交ぜて、その価値観をかもし出してほしい。そんな人の声に世は自ずと耳を傾けるものだ。

この場合、やっぱりこういうチャレンジの矛先はまず若い人達にまず向けられるべきだろう。ヘラヘラ中年世俗牧師としては、なんとも説得力のない言葉だけれど、そんなことを次世代に期待しています(おじさんも、おじさんなりにがんばります)。

山頂を目指して                                                                                                                       FOR HIM!

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原本タイトルが「THINKING FOR A CHANGE」だから、これまた大胆にタイトルを変えましたな~。

SOLI DEO GLORIA!

マック