言葉で始まり、言葉で終わる

世界には多くの宗教がありますが、その多くは火の周りで踊ったり、恍惚状態になって自分の体を傷つけたり、さらにエスカレートしますと人間を神々に生贄として捧げたり、その辺りから始まりました。これらの行為は目には見えない神々に向けてなされたのでしょうが、その神々と人との間に「言葉」による交流はありませんでした。故にそれ以上の発展はありませんでした。そして、その言葉なき信仰心は今日も私達の周りに残っています。すなわち巨大な石や夕日の前に手を合わせたり、神々を担いで町々を練り歩いたりすることです。これらの限界はどこにあるかと言いますと、そこから「夫婦のあり方」とか、「子供をどのように育てたらいいのか」とか、「老いる」とか「生きる意味」というようなことに対して具体的な指針を得ることはできないということです。そう考えますと、ヨハネがその書の冒頭に「初めに言葉があった」と言っていることは特筆すべきことなのです。この一言によって「世界中の多くの宗教」と「クリスチヤニティー」は異なるファイルに分類されることになったのです。

本日、礼拝でお話した「日英メッセージ原稿」、および「本日のおもちかえり」です。↓

マック

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世界にあって、日本代表になかったもの

10446515_10203686944707638_1527992698916448753_n (1)なぜ彼らは負けたのだろう。海外のトップチームでプレイしている選手からは「優勝」という言葉が何度も言われ、彼らは“世界”を肌で知っているので、日本の実力と世界の力を比較して言っているのだと思っていたのだが・・・。しかし、現実は・・・。

二軍のようなコロンビア戦に完敗し、予選最下位となり、その時からずっと日本はなぜ結果を残すことができなかったのだろうということを考えている。

この度、彼らの口から度々、「自分達を信じる」という言葉を聞いた。おもわしくない状態が続くと、さらにこの言葉を聞く数は増えたように思う。私は仕事柄、「信じる」という言葉には反応する。そして気がつかされたことは、私が知る限り日本以外の国の代表の言葉から「自分達を信じる」という言葉はあまり聞くことはないということ。

自分を、チームを信じることは大切だ。でも自分やチームだけを信じるのでは心もとないように思う。以前も紹介したが、このようなことがブラジル代表のロッカールームで起きている、さらには他国においてもこのようなことがロッカールームで繰り広げられていることは容易に想像できる(私がかつて所属していた大学のサッカーチームでさえても試合前に主の祈りを祈っていた)。

この度の各国の代表を見ていると、彼らはいよいよこれからピッチに入る時、その一歩と共に胸で十字を切り、天をちらっと見上げ指をさす。もちろん彼らも自分達が備えてきたことを、仲間を信じてはいるだろう、しかし、いよいよそれを試す時がきた時に彼らは全てを神に委ねてピッチに入るのではないかと思う。あの瞬間、彼らは己が身に感じている重圧や緊張から解き放たれ、まさしく自由な身となって、時には実力以上の不思議な力をも発揮することができるのではないだろか。

色々考えてみて、これらのことは今の日本代表に全くないものであり、しかし、世界には当たり前のようにあるものなのだ。このことは神がある国に加担しているということではなくて、最後の最後に全てを委ねて事に臨むことができるのか否かということ、それがよく言われる「メンタル」に与える影響は、はなはだ大きいはずなのだ。

日本代表チームにいつの日かチヤプレンが帯同することを夢見つつ・・・(NBA、 NFL・・・のチームには専属チヤプレンがいます)。日本サッカー協会の皆さま、その時はお声をかけてください(笑)。

マック

追伸:写真は大学時代のチームでゴーリーだったコロンビア人のディエゴ。ブラジルで予選三戦を観戦し、この写真は日本戦直後のもの。彼に祝いの言葉をメールで送り、個人的には2014W杯に自分なりのけじめをつけました。

 

 

半端ないって!

有名な動画です。もと滝川二高、サッカー部主将、中西隆裕さんが現在、日本代表の大迫勇也と対戦した後の涙の絶叫。「大迫半端ないって!アイツ半端ないって!後ろ向きのボール、めっちゃトラップするもん!そんなの出来ひんやん、普通!」

泣いても笑っても、今日が最後。半端なくいこうぜ、侍ブルー!

マック

追伸:中西さんの言葉のように、私も礼拝メッセージを備えつつ、いつも同じように叫んでいます。「バイブル半端ないって!古の言葉が今も人の生き方、めっちゃ変えているもん!そんなの出来ひんやん、普通!」。

新年度教会標語:キリストを知る

IMG_0732私達の教会は1930年に創立されました。これまでどれだけ多くの方達がこの教会で信仰生活を送ってきたことでしょうか。“年月が経つ”ということはイコール、多くの信仰的な経験を積んできたということを意味し、そのことを私達は“成熟する”と言います。そう考えますなら、84年という年月は教会の成熟には十分すぎる時となりましょう。パウロが『こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく・・・』と言っていますように、私達はもはや子供ではないということを自覚しなければなりません・・・。

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本日、礼拝でお話した「日英メッセージ原稿」、および「本日のおもちかえり」です。↓

マック

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ナツヤスミ

images子供達が夏休みに入りました。傍から見ていても、学校がある間の日々は色々なことに追われていましたので、少しのんびりしてほしいものです。しかし、それにしても長男はこれから三か月も休みがあり親は頭を抱えています。

そこで一つのルールを設定。涼しい午前はすべきことし、暑くなる午後以降は自由。ただし夜九時にはネットに繋がる機器を回収してネットを断ち、“何でもありの仮想世界”から“静かな現実”に戻る。

クロカンでの記録を伸ばそうと、たくらんでいる長男と西日がぎらぎら照りつける夕刻の山を駆け登る約束も忘れずに・・・。その時、私達に容赦なく照りつける日差しの強さと、滴る汗は幻想ではなく、否定できないリアルなものですから。

丹下団平

 

 

ドログバ

001聖書、民数記の中には、これから攻め上ろうという敵地を探りにいったイスラエルの偵察隊が、そこで背が高く、屈強な男たちを見、その報告をしている場面があります。

彼らは「そこに住む民は自分達よりも強く、そこは私達を滅ぼす土地だ」と言い、きわめつけは『わたしたちには自分が、いなごのように思われ、また彼らにも、そう見えたに違いありません』(民数記13章33節)と彼らを恐れました。

土曜日の敗因に対して色々な意見が飛び交っていますが、その中で一番、目立つものが「ドログバ投入によって全てが変わった」というもの。確かにドログバという名前からして、おどろおどろしく、その容姿も迫力があります。同じピッチにいた森重選手は「ドログバが入って臆病になってしまった。W杯の難しさを感じた」と心中を語っています。

もしかしたら日本代表はその時、自分をいなごのように感じてしまったのかもしれません。ドロクバのことはもちろん皆が知っていました。しかし、彼一人がピッチに入ることによって、ここまでゲームが左右されてしまうとは想定外だったのではないかと思います。

マック

追伸:イスラエルの偵察隊の中にはヨシュアとカレブという男達もいました。彼らの報告は他の者達とは異なりました『わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です。もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と蜜の流れている地です』(民数記14章7節、8節)。私達にはどんな心が必要なのでしょう。その確信はどこからくるのでしょう。

十字をきり、天を指差してピッチに入る選手達が大勢いますが、彼らはどんな相手を前にしても、おそらく“恐れる”ことはないのではないかとふと、思いました。

記憶に残らなかった一戦

20140526mog00m050003000p_size81998年6月14日、ワールドカップに初めて出場した日本代表がアルゼンチンと対戦した記念すべき日です。

その時、私達は沖永良部にいました。正確に言いますと、その日が私達夫婦にとって最後の沖永良部の晩だったのです。このアルゼンチンとの闘いをラジオで聞きながら、私達は島を発つ荷造りをしていました。

夜半からバケツをひっくり返したような南島の豪雨となりました。なかなか荷造りが終わらず、それでも一、二時間は眠ったでしょうか、教会の玄関ドアが開く音で目が覚めました。確か夜中の三時頃だったと思います。外はまだどしゃぶりの雨、そんな中、教会の兄弟姉妹が私達を見送りに来てくれたのです。

夜半の港は人がまばらで、停泊している客船の階段を私達のスーツケースを肩に背負ったKさんが、傘などさすことはできませんから、びしょ濡れになって駆け上ってくださいました。そして最後にいつもの笑顔で私達は力強く握手をしました。離れていく港では二年二か月もの間、この島で共に伝道してきた兄弟姉妹がいつまでも手を振り続けてくださいました。その後、船は沖縄に立ち寄り、私達はその一週間後にアメリカに渡ってきたのです。

歴史に残るW杯の初戦であり、バティストゥータにガツンとやられた晩でしたが、そんなことよりも、港の灯に照らされた兄弟姉妹のシルエットばかりが私の心には残っています。

マック

W杯を前に

201311261617017bcいよいよ今週はW杯が開幕します。これまでも日本代表を応援してきましたが、どうもこれまでの代表チームにはゴールをとってくれるというイメージをもつことができませんでした。それもそのはず、これまでのチームは守りを重視したチームだったからです。しかし、この度のチームはこれまでとは少々違うようで、この番組を見れば、それがよく分かります。

NHKスペシャル「攻め抜いて勝つ~日本代表“新戦法”への挑戦~」

要はこの度のチームの戦術はリスクを冒してでも点を取りにいくということです。実際にこのチームはこれまでのチーム以上の得点をあげています。しかしながら、この戦術のリスクは失点の可能性も多いということで、得点と共に確かに失点も多くあります。そのような中、選手一人一人が紆余曲折しながらも、ザッケローニ監督の戦術を守備陣、攻撃陣共に受け入れていく様が番組の中にでてきます。この代表から、チームで戦うために全ての選手が最低限、知るべきことを教えられました(シンプルで、当たり前といえば当たり前のことですが、大抵、物事は当たり前のことができていないので、できないのです)。

1)ビジョンの理解
2)ビジョン達成のためのリスクの理解
3)自分の役割の理解

細かなことは分かりませんが、その戦術は攻撃陣も守備陣も20メートルの幅の中で、短いパスを繰り返しながら、敵陣を崩していくということのようです。このような戦術を考えたザッケローニ監督はきっとよくよく日本人を研究して、この戦術にいたったのでしょう。なぜなら、この戦術は以下の日本人サッカー選手の特徴にぴったりだからです。

1)日本人のテクニックの高さ
2)日本人のスピードの早さ
3)日本人の身体の小ささ
4)日本人のチームワーク(犠牲の精神)

日本人をよく知り、それに見合った戦術を練り、ビジョンとリスクの共有をし、そして各々の役割(ギフト)を明確にさせ、それに徹すること・・・。サッカーのみならず、色々なことに適応できますね、これは。

日本代表の皆さん、たとえ失点しても、前に、前に、今までとは違う攻め抜くサッカーを見せてください。やり残しなく、後悔せずに全力で!応援しています!

マック