人生の主(あるじ)はあなたではない!

もし、それまでに会ったこともない人が玄関先に立ち、「おーい大倉、ちょっと出てきてくれー」と手をたたきながら呼ばれ、500円を手渡され、開口一番、「息子が大学受かるようになんとか取り計らってくれよ」とか「病気にならないようにここは一つ、頼むよ」と言われ、言いたいことだけ言って、こちらのことは何も聞かずに「じゃー、あとはよろしく」と去っていくとしたら・・・。

親しくもなく、話したこともない人に突然、こんなことを言われ、「なんなんだこの人は」と呆然と立ち尽くしていると数秒後、言い忘れたかのようにその人が戻ってきて、「あ、ごめん、言い忘れた、さっき言ったこと、してくれなければ、もうここには来ないから、よろしく!」と言って立ち去って行ったとしたら・・・。

これを「御利益宗教」と呼びます。

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「疫病」と呼ばれた男

この数か月、私達は毎日「感染」という言葉を聞きました。感染とは私達の体内にその体よりも小さい病原体が侵入、寄生し、増殖することを意味します。感染は一人の人から始まり、やがてその感染は他の人に伝わります。

それを「伝染」とよびます。そして、その伝染が社会全体に爆発的に広がっていく、それを「流行」と呼びます。英語では「パンデミック」と呼びます。まさしくコロナウイルスはこのようにして全世界に広がりました。

そのような中にあって、今も地球規模の脅威を世界に与え続けているこのウイルスの名前を持ち出して、誰かに向かって「よう、コロナ!」とか「あなたはコロナのような人だ」と言うことは決して許されません。もし、このようなことが起きますとそれは社会的に大きな問題となります。

しかし、聖書の中にかつてそのように呼ばれた男がいました・・・。

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決断によって導かれる人生

牧師の仕事柄、大切な相談を受けることがあります。それが誰であっても大切な相談を受けるということには責任を感じます。その任に誰が耐えられるだろうかと思います。このことにおいて自らは完全な者ではないということを認識していますが、できる最善をさせていただこうと祈り、願っています。

そのような日々を通りながら、私はある時からあることを心がけるようになりました。それは、その相談者が私の母親の年代の方なら、最初に「あなたを私の母と思って、祈り、考えて私の考えをお話しします」と申し上げます。

そうです、その人の悩みを他人ごとではなく思うためです。他人ごとなら、その人の機嫌を損ねないように、「すべきではないこと」、「続けるべきではないこと」を「いいんじゃないですか」と言ってしまう弱さが自分にあるからです。

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こんな者が何になりましょう

誰しも得手不得手があるものです。それは嘆くことではなく、謙遜に受け止めるべきことです。私は音楽を聴くことは大好きなのですが、楽譜を読んだり、楽器を奏でることはからきっしだめなのです。

5、6歳の頃、母は私にエレクトーンを習わせました。ですから、今でもあの時に習った「ちょうちょ」だけは弾けます。問題は当時の私のヒーローは仮面ライダーであり、仮面ライダーのベルトを腰に巻いて野山で遊ぶことのほうが圧倒的にエレクトーンの鍵盤に向き合うよりも私には魅力的であり、私はエレクトーンに背を向けたのです・・・。

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弱いからこそ強い

これまで私の人生に出会ってくださった方達、ごめんなさい。正直申し上げなければなりませんが、私はこれまで本当に強いという人に一度も出会ったことはありません。本当に強い人を思い起こそうと思っても、誰の顔も思い浮かばないのです。(言うまでもなく、その中に当然、私もおりません)。

私達は度々、「強くなります」とか「強い人になってください」と言いますが、はたして本当に強い人など、この世界にいるのでしょうか。

わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」と聖書は私達に語りかけます。人生、後半に向かうにあたり、日毎にこの言葉に心が惹かれていく自分がいます・・・。

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私達のピンチをチャンスに変える神

今でも忘れることができません。とてつもない孤独に襲われ、島の空港の滑走路脇の誰もいないビーチに行き、鹿児島に向かって離陸するプロペラ機の腹を見上げた時のことを。その時に思いました、あれに乗れば鹿児島に行けて、そこから東京に行けるんだなと。

しかし、目を転じれば、その島には二つの「充実した図書館」と「世界最高の海」がありました。そして、都会で失われた「純朴で人情に溢れた人達」がいました。

特にすることがないし、行く所もないので毎週、図書館に行きました。あの二年の間、私はひたすら本を読み、信徒の方達の畑を手伝い、おじいちゃん、おばあちゃんの話を聞き、海で釣り糸を垂れました。一人身でしたので一人で考える時間が、夜空を見上げる時間が十分にありました・・・。

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「神の時」に応える勇気

かつてイエス・キリストは言いました。「あなたがたはこの世にあっては悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16章33節)

私は最近、ずっとこのイエスの言葉を思いめぐらしています。この世には悩みがある。イエスはそれを知っている。そう、我々には病があり、老いがあり、死がある。そして、疫病がある。そもそも、生きていくこと、そのものが、既に試練であり、悩みの連続でしょう。

しかし、それに対して神の子イエスは「わたしを信じなさい」とか「わたしに従いなさい」とは言わなかったのです。

イエスは言われた「勇気を出しなさい」。私はあなたの心に、私の時に一歩前に出る勇気を予めあなたの心の中に備えているのだ、だから、その時が来たのなら、あなたは勇気を出しなさい。恐れるな、勇気を出して、私の前に出なさい。私に近づきなさいと主は言われるのです。

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これからの拠りどころ

私達は第二次世界大戦後に「戦前」と「戦後」という言い方を使い始めましたが、これからコロナが過ぎ去った後に、きっと私達は今の時を思い起こしながら「コロナ前」と「コロナ後」という言葉を使うことになるでしょう。

そのような意味で私達はこれから「コロナ後」という未踏の新しい世界に向かうべく、これまでのものを一度、リセットする必要があるのではないかと思います。

このコロナを通して、もし私達が「人間にとって本当に大切なものは何なのか」ということを考え始めているのであるならば、この経験は私達のコロナ後の人生にとりまして大きな収穫となることを信じます。そして、その答えが聖書には古の昔から記されています・・・。

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おはよう!

私が死んだとします。マウントホープセメタリーに埋葬されます。埋葬三日後、朝早く、墓参りに来た妻が涙を拭きながら、墓を後にします。

その時、復活した私が妻の前に現れ、開口一番、言います。「おはよう!」。

今、これを聞いている皆さん、皆さんの心はこの「おはよう」という挨拶にどう反応しましたか?わたしは思いました。普通、この状況で「おはよう」と言うかい?

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コロナと共に生きる 本多一米牧師

今日は英語部の本多一米牧師が「コロナと共に生きる」ことについてピリピ書2章1節-13節よりバイリンガル・メッセージを取り次いでくださいました。

こちらでは毎週、色々と状況が変わり、それに合わせて皆で知恵を出し合いながら礼拝を備えています。皆さんの教会でも色々なチャレンジがあるかと思います。日々、天来の力添えがありますようにお祈りしています。

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