コロナが過ぎ去った後に・・・

私達は今、これからの見通しが全くかない状態の中におりますが、コロナウイルスはいつか必ず終わります。このことが終息するまでに私達にはそれなりに打ちのめされると思います。悲痛な思いで申し上げますと、このウイルスの終わりを見ずにお亡くなりになる方達も大ぜいいます。もしかしたら、私自身もその一人となるかもしれません。

しかし、ここで私達はいつかこのウイルスの終わりを見届けることを信じて、皆さんに語りかけたいのです。それはこのことが終わった後に、私達はどう生きるべきかということを今から考えておきましょうということです。

私はあのイスラエルの賢者の言葉を今、思い起こしています。 『順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ』(伝道の書7章14節)

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回心にいたる道

皆さんはきっと多忙な毎日を送っていると思います。しかし、そんな皆さんにも時に内なる声が聞こえてくることがありませんか。「このままでいいのか」。「このことに手をつけないでいいのか」「この人との関係をどうするのか」・・・と。

家の中で、ちょっとカビ臭い匂いがします。車を運転すると気になる音がします。心臓の不整脈を感じる時があります。どれも、常に感じているものではなく、ある時、フッと感じるものです。内なる声も常に聞こえているのではなくて折に触れて、心に語りかけてくるものなのかもしれません。

そして、私達はしばしば、その内なる声をそのまま放置してしまいます。理由は色々あります。「忙しいから」。「今はまだ大丈夫だから」「面倒だから」・・・。

しかし、私達は知っています。家や車や自分の体について違和感を感じた方達が後々になって口々に言うことを。「あの時によく見ておけばよかった」「あの時に直しておけばよかった」・・・。

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優先順位が決める私達の人生

2019年、私が深く教えられたことの一つにこの「神こそが主である」ということがあります。「主は自分ではない」ということです。私の人生の主(あるじ)は私ではないのです。

このようなことは本来、最初から肝に銘じておくべきことでした。なぜなら、このことは私達の信仰生活の大前提となることだからです。それではなぜ、神こそが主なのでしょうか?

なぜなら、私は裸で生まれてきたということは否定できない事実であり、また私は裸で死んでいくからです。その始まりに自分がたてた計画や自分の力は全く関与していないのです。この命は100パーセント、神がくださったものです。

さらに言いますと、私は自分の力で一分たりとも生きることができない存在だということです。この命は神がくださったものであり、あと一時間の寿命があるとするのなら、その一時間も神がくださるものです。

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エマオの途上を歩く私達

1989年、Back to the Future 2という映画が公開されました。マイケルJフォックス扮するマーティーが未来の世界にやってくるというストーリーです。当時、20歳の私はその未来の世界に驚きと期待を抱いたのを覚えています。

ところで皆さん、その映画が未来として設定していた日をご存じですか?その未来は 2015年10月21日だったのです。

そう、その未来は私達にとりまして5年前の過去となりました。私達は映画のストーリーを追い越してしまったのです。どうりで年をとったわけです。

今、最新のI phoneは何と呼ばれているのですか。Iphone10 ?, I phone 11? 私にはわかりません。

私達の身の回りのものはどんどん変化します。どんどん新しくなるのです。しかし、変わらないものがあります。何ですか?私達、人間です。もちろん、年をとれば私達の肉体は変化します。しかし、私達の心は変わりません。エマオの途上の弟子達をHuman5と呼び、私達が Human9と呼ぶことはないのです・・・。

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謙遜

私は年を重ねれば重ねるほどに自分の小ささを感じます。そして、それはある思いと並行して起きていることに気がつかされています。そうです、大いなる神を知れば知るほど、私は自分の小ささに、不完全さに気がつかされていくのです。

地球温暖化に伴う想定を超えた自然災害を前にして、たとえ私達が強靭な肉体を持っていても、世界最高の学び舎で学んだ学位があっても無力です。莫大な財産を持っていたとしても、一度、私達の体内に悪性の腫瘍ができたら、札束を積んでも治癒することには限界があります。

私達は私達よりもはるかに大いなるお方の前に生かされているということを知るべきです。「主:あるじ」は私ではないということを私達は徹底的に知るべきです。「主:あるじ」は神であるということを私達は肝に銘じるべきです。

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クレイジーラブ

我々日本人は「1つを言われて10のことを察する」と言われています。さすがに10は無理でも、一つのことから、その他2つ、3つのことを察して、互いの関係を保っています。

これができると「空気が読める人」と呼ばれ「気が利く人」と評価され、これができないと「空気が読めない人」と呼ばれ「気が利かない人」とされます。こういうことをサラリとやってのける人を「粋な人」といい、それができないと「野暮な人」と言われます。

しかし、察することにも限界があります。なぜなら、それはあくまでも私達の感覚であり、そこから具体的な、そして確信的な指針を得ることはできないからです。私達の互いの関係は「気配を感じとる」とか「察する」ということだけでは成り立ちません。

元旦にのぼる太陽から「職場で直面している人間関係の難しさ」や「夫婦の間に抱えている問題」をどうしたらいいのかという具体的なメッセージを聞くことはありません。「気配」だけで人生の諸々の大切なことを決めていく人はいないでしょう。

そうです、それでは私達には何が必要なのでしょうか。それは「言葉」です。「言葉」がなければ私達は互いの思いを相手に伝えることができないのです。また相手の思いをはっきりと理解することもできないのです。

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十分の一が意味すること

「ありがとう」とか「感謝」を意味する「THANK」という英語を見ていますと、ある言葉を思い浮かべます。そうです、それは「THINK」です。実は「THANK」とは「THINK」から派生して生まれた言葉だそうです。すなわち感謝するということは、考えなければ生まれないものなのです。感謝はしっかり考えなければ生まれてこないものなのです。

注:今週は大倉牧師が訪日中のために予め録画したメッセージをお届けしています。

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Soli Deo Gloria ! 神にのみ栄光あれ

これまで教会で、このような失敗や挫折、悲しい経験をされた方達と多くお会いしてきました。言うまでもなく私もそのうちの一人です。それらを通して今、思うのです。

単純に比較はできませんが「失敗」とか「挫折」、また「悲しみを伴った経験」というのは「成功」と「達成」、「嬉しい経験」よりも、ずっと多くのことに用いられるということを。

「成功、達成、嬉しい経験」とはアルバムの中に収められるもの、しかし、「失敗、挫折、悲しみを伴った経験」はアルバムを飛び出して、人を生かし、人を慰め、人を勇気づけ、時にそれが人の命を救うものなのです。

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地境を動かさず、幕を張り広げ、綱を長く!

昨年、私達は教会のミッションステイトメントを発表しました。「私達の使命は神様から与えられている賜物を用いて日本、アジア、そして全ての国の人々とキリストにあって共に成長し、神の言葉を分かち合うことである」(Our mission is to grow in Christ and share the Word of God with all; having special resources to reach Japanese and Asian people).

 このステイトメントが公にされたのは昨年ですが、それは現在に限らず、文章化こそされませんでしたが、私達の教会は創立以来、基本的にはこのステイトメントに従い歩んできたと思います。そして、これからもこのステイトメントに従い、私達は日本、アジア、全ての国の人々と共にキリストにあって成長し、天幕を広げ続けていくのです・・・。

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あなたは私に従いなさい。

主に従うということは、自分がしていることと、人がしていることを比較して一喜一憂することではありません。「私はこんなに苦労しているのに、あの人は楽な人生を送っていていいよね」という思いに捕らわれることでもありません。実際、本人以外の誰がその人の人生は楽だと決めつけることができるでしょうか。自分が思う以上に私達は自分以外の人のことはほとんど何も知らないのです。

私達は「あなたは私に従いなさい」という主イエスの言葉をしかと受け止め、一日、そしてまた一日、それに従って生きるのです。この言葉を聞き、この言葉に従っている限り、私達は主が与えてくださっている自由を失うことはないのです。

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