マンザナー強制収容所

1942年、アメリカ政府は110000人もの日系アメリカ人を夏は灼熱、冬は極寒となる国内10か所の収容所に隔離しました。
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その一つが、今回、立ち寄ったマンザナー強制収容所(跡地)です。

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日本の血を継ぐ者として、必ず訪れなければならない場所だとかねがね思っていました。そして、この国で日系アメリカ人として生まれた子供達を連れていかなければならないと思っていました。私達、日本人が現在、この国で学び、働くことができるのも、永住権や市民権を取得することができるのも、私達の先達者である方達の汗と涙、そして命の賜物であるということをあらためて心に刻みました。IMG_4437OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「そんなことはないんだろうな」と子供達にこの史実は現地校で教えられているのか聞くと、しっかりとクラスで語られ、ディスカッションもされるとのこと(高を括っていた自分を恥ずかしく思いました)。資料館は大きく、とてもよく整えられており、ひっきりなしにアメリカ人旅行者がやってきていました。 自国の歴史の汚点をオープンにし、それに真摯に向き合わなければ、その先に進むことができないという先人の言葉を思い起こしました。

マック

追伸:過去の日系人強制収容所に関するブログ。アラブコミュニティーとマンザナー。 911とノーマン・ミネタ氏

 

The Art !

先ほど、無事に帰宅しました。昨晩はM先生ファミリーと楽しい時をもたせていただき床に就くのが遅くなったのですが、今朝は5時に起床。サンディエゴ目指して南下する朝、最後の釣りに子供達も起こして、出かけました。「早起きは三文の得」とはよく言ったもので、夜明けの湖は刻一刻と変わる壮大な天父のキャンパズになっていました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

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世界広しといえども湖全体をキャンバスにしてしまう画家はいないでしょう。ブログではピクチャーしか載せられませんが、湖面には小さな羽虫が群れをなしており、それに食らいつこうとトラウトが飛び跳ね、湖面を揺らします。鳥たちが朝を喜ぶように湖面上を飛び、互いに歌をかなでます。これら全ての生きるものたちが、この芸術の一部となっています。ここで魚を釣りあげるということは、まさしくキャンバスの中から魚を引き上げるようなものです。しかも、このキャンバスは一時間ほどで消えてしまい、次回のものは今日のものとは異なるのですから、なんとも贅沢な作品です。誰がこの作品のクリエイター兼、プロデューサーですって?言うまでもないですね。

『わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか。人の子は何者なので、これを顧みられるのですか』 (詩篇8篇3節-4節)

Praise God for His Sense of Beauty!

マック

追伸:最後の一分までねばって二匹をゲット。私達は壮大な天父の庭の端っこで楽しませていただく幼子に過ぎません。

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至福

早朝、子供達がまだ眠っている間に妻とレイク・ジョージへ。ここは熊がよく出るということで期待していたのですが遭遇せず。鏡のような湖面に周囲の山がそのまま映り、静寂の中、糸を垂れました。一時間余りの時間でしたが、釣果はそれぞれ一匹で満足、満足。IMG_20130725_064135_131IMG_20130725_081254_987

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、子供達を起こし、軽く朝食をとり、そのままレイク・コンビクトへ。みみずで始めたのですが、レッドのパワーベイトがいいことが分かり、これにニンニク臭の粉をまぶし、あたりを待つと、立て続けにヒット!

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型は小さいのですが、それぞれがあたりを感じ、七匹を釣りあげることができました。OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後には課題として残っていた、‟鱒のさばき”を体験。けっこううまくできました。これで2013年夏、父が教えるべきことはおわり。一日、釣り糸を垂らすことができて、至福の時でした。明日はサンデイェゴに帰りますが、朝早く、レイク・ジョージで再度、大物を狙います。

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マック

追伸:今晩はちょうど同じ時にこちらに来ているM牧師ファミリーにBBQをお招きいただきました。M先生、今日だけは仕事の話はやめましょう(笑)。

 

 

10年も前のこと

10年も前のことですが、休暇でサンフランシスコ・ダウンタウンの宿にいたことがありました。その時に悟りました。自分と家族に関して言えば、リフレッシュするためには都会に行っちゃだめだと。以来、やすみがいただければ、山川海を目指すようになりました。

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コンクリートとネオンじゃ、だめなようです、私達は・・・。心のどこかで「エデンの園」への回帰を求めているのかもしれません。

マック

大切な引き継ぎ

ここに来る前に当地のトラウトの食いが一番いいのはミミズだという情報を得ていました。そして、これは今まで聞いたことがなく、「へぇ~」と思ったのですが、こちらではミミズに注射針を射し、空気を入れて膨らませ、水中で地底から浮かせるとのこと(国が変われば、釣り方も変わるのです)。それによって鱒がミミズを見つけやすくなるということ。

そこで薬剤師の友人からいただいた注射器を三本持参し、ミミズを膨らませ竿を振りました。今日の収穫のひとつは子供達がミミズをつかみ、針につけ、自ら注射器を打ってふくらませることができるようになったこと。これは自転車にのれるようになることと同じくらい、とても大切なことです(笑)。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

 

 

 

 

そして収穫の第二はそれぞれが鱒を釣り上げることができたこと。自分で一番最初に釣り上げた魚のことは生涯、忘れません。あのブルブルを子供のうちに体感することは、学校を卒業するのと同じくらい、とても大切なことです(笑)。

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次回、引き継がなければならない事項として、釣った魚は自分でしっかりとさばくことができるようになること。鱗をとり、内臓をすべてきれいに取り出すこと。これは泳げるようになることと同じくらい、大切なことです(笑)。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

 

 

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そして最後に釣った魚は必ず食べる事。自分の針にかかってくれたのですから、その味を楽しむことは、すきやばし次郎さんが握ってくださる寿司を食べることよりも大切なことです(笑)。限られた調味料でしたが、自分が釣ったものを各々が食べました。この味はミュシラン三ツ星もかないません。

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マック

追伸:夜はムービーナイト。今晩は「12人の優しい日本人」を観ました。一部屋で繰り広げられる、しかも陪審員というシリアスになりがちなテーマをあれだけおもしろい脚本に仕上げた三谷幸喜はやはりすごい。なんといったって「Iron Man」が好きな子供達が三人とも最後まで腹かかえて笑っていましたもん。ちなみに昨夜は「Shall we ダンス?」。竹中直人サイコー!

胃袋で受け止める文化

どの国に行っても、その国にはその国ならではの食文化があります。そう、まさしくそれは文化であり、その文化を胃袋におさめることによって、その人はその国の人となるのだと思います。

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韓国といえばスタミナ料理の蔘鷄湯(サムゲタン)。

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毎日、朝からこんな感じで始まりました。

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インパクトあるエキスが体を鼓舞してくれます。

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食卓から「赤いもの」がなくなることはなく・・・。

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「ちょっと、おやつを食べよう」と言いますから、スタバやダンキンを想像したのですが、敷居を超えて目の当たりにしたものは・・・

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これを「おやつ」と呼んでしまうほどに、世界は広いのです(笑)。味はというと・・・、味は・・・、限られた私のボケブラリーでは表現できません。

マック

兄弟

韓国の空港に着き、外界へドアが開くと、それが1974年の金浦であっても、2013年の仁川であっても待っていてくれる人がいる。先週、土曜日、ドアを出た先にいた兄はいつものように私を抱きしめ、満面の笑みで私の頬をつねった。40を過ぎた男が、誰かに頬をつねられることはまず、ない。しかし、兄だけは別なのだ。

私には親のような年齢の三人の兄と一人の姉がいる。そのうち二人の兄は韓国、一人は南米パラグアイ、姉はロサンゼルスに住んでいる。訪韓の最後の夜はこの二人の兄達と過ごした。共に食事をし、片言の韓国語と英語を取り混ぜ、パラグアイの兄とも電話をつなぎ、15年の間に積もった話をした。韓国を発つ日も出発時刻まで時を過ごした。

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血がつながっているというのは不思議です。国が異なり、一緒に暮らしているわけではないのに、顔立ちや細かい仕草、考え方までもが似ていることに驚きました。

韓国に行くと必ず兄達に連れていかれる仁川港の市場。ここにある食堂でいつも食事をします。次回はいつ会えるのでしょうか。今度は兄弟姉妹五人、地球のとこかで集まることを約束しました。

兄さん、二人の風貌はこの市場の元締めそのものだって(笑)!なぜ、仁川に宮崎駿(本人はロバート・デニーロだと言っていますが)と大木金太郎がいるのだろう?

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マック

祖父について

3月27日 韓国 002あまり祖父のことを書いたことはありません。韓国教会史において大切なはたらきをした牧師であったということは聞いておりましたが、これまで心のどこかで祖父は祖父、自分は自分と思っていました。

誰しもがそうであるように、孫として私が祖父を選んだのでなければ、祖父が私を孫として選んだのでもありません。ただただ、そこには神の摂理があるのみです。

祖父はその昔、私の母校、東京聖書学院で中田重治、笹尾鉄三郎により教訓を受け、同じく共に留学していた韓国人留学生と共に韓国に帰国し、今日の韓国聖潔教団が始まりました(この二人で始まったこの団体には現在3000の教会があり、60万人の信徒がいます)。特に祖父はこの教団の土台となったホーリネス神学の礎を築いた人で、今日でも韓国で祖父に対する敬愛には圧倒されるばかりです。この度、神学校を訪ねた時も祖父の神学について学者達のフォーラムが開催されていました。

今回の旅の中で初めて知りました。祖父はかつて聖書信仰を禁じる日本政府の弾圧に対して、声をあげて反対したことから、投獄されていたということを。その祖父の息子と日本人の母が信仰により海を越え、結婚し私は生まれました。日本国に対する辛い過去をもちつつも、日本人女性を息子の嫁とすることをよしとした祖父の心に感動しました。

父母は日本で結婚し、母は日本国籍を離脱し、韓国に骨を埋めるべく海を渡りました。しかし、渡韓して幸せな新生活が始まって間もなく、父が肝硬変にかかっていることが分かり、父は私の誕生100日後、母の誕生日に天に召されます。葬儀の中で読まれた『わたしのしていることは今、あなたには分からないだろう。しかし、後になって分かるようになる』(聖書・ヨハネ13章7節)という聖書の約束と共に、母は赤子の私を連れて帰国します。以来、私は日本で育ち、そして今、アメリカ人としてアメリカに住んでいます。

ここ数年、わたしは神様の計画というのは一年、二年で考えてはいけないということを肝に銘じています。否、その計画は自分に与えられている生の中だけで収めきれるようなちっぽけなものではなく、次の代、そして、そのまた次の代へと引き継がれつつ、少しづつその全容が見えてくるものだと信じています。

この度、祖父の全集16巻が発行され、後で全巻をサンディエゴに郵送してくれるということです。しかし、悲しいかな、私には全く読めない全文ハングルです(この全集は明らかに私のオフィスで積ん読(つんどく)となるでしょう 笑)。

父と母は韓国の架け橋となるべく日韓の海を渡ったのに、その子ときたら反対側にある海を渡り、米国大陸に来てしまいました(祖父も父も天国で苦笑いしているかもしれません)。でも、もしかしたら、この者が成し遂げられないことを私の子達や孫達が引き継いでくれるのかもしれません。彼らが再び太平洋を渡り、日本に行き、さらに父母が超えた海を越え韓国にいたり、キリストに仕え、この祖父の全集を読んでくれる日がくるかもしれません。その時のためにこの全集は大切にとっておきます。

聖書は神の言葉として「わたしはアブラハムだけの神」とは言っていません。『わたしはアブラハム、イサク、ヤコブの神』なのです。今まで気がつきませんでしたが、この言葉の意味がはじめて心に沁みました。

『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』(出エジプト記3章6節)

マック

追伸:昨晩、訪ねたソウル市内の教会の集会後に母と同年代の女性が来て、私にこう言いました「わたしは1969年1月20日、あなたがソウルで生れた日、同じ病院で男の子を産み、あなたのお母さんと同じ病室にいました。それ以来、あなたを知っており、祈っています・・・」。生きるということはいつも驚きで満ちています。

ルーツ

韓国カメラ 土、日、月 042こちらに来て、毎朝四時に目覚めています。私にとってこれはとても都合のいいことで、一日が始まる前の貴重な一人の静かな時間を楽しんでいます。

火曜日はソウルから車で二時間ほど南にある扶餘(ぶーよ)という町のいくつかの教会に行きました。ここは今から1400年前に栄えた百済の最後の王都とされたところで、今もその時代の面影を残す町です。

 

韓国カメラ 土、日、月 017この町の教会でもたれる地域牧師の会に行きましたところ、その教会が私の父がかつて牧会をしていた教会であるということを知りました(現地に行って初めて分かるというのがこの旅行の特徴です 笑)。このことはまた追々、書こうと思っていますが、私の父は私が生れてすぐに亡くなりましたので、私は父のことを何も覚えていません。しかし、父がこの町のこの教会にいたのだということを思う時にとても不思議な気持ちがしました。

そして、この父の教会から少し離れたところに韓国聖潔教団で三番目にできた教会があり、そこでは祖父がかつて牧会をしていたということも聞きました。教会内には博物館があり、そこに祖父の写真がありました。

この町の路地裏を歩いていた時、父と祖父が肩を並べて歩いている姿が目に浮かびました。

マック

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