コロナ下ならではの天来のギフト

牧師休暇中のため、明日のサンディエゴ日本人教会の礼拝は姉妹教会のオンライン礼拝に合流させていただきます。

通常、このような場合はゲストスピーカーに来ていただくのですが、コロナ下ではそれもできず、それではメッセージ動画を送ってもらおうということになりますが、そうするのなら、今や諸教会が同時間帯にライブで礼拝をしているのですから、日頃から親しくさせていただいている方々の礼拝に出席させていただく、それは素晴らしい天来のギフトではないかと思わされた次第です。

To Only God be the Glory!

https://www.omsholiness.org/nichigo-home

追伸:来週から全て通常通りの予定に戻ります。

 

嘘のない人生を生きたい

「半沢直樹」というドラマが最近、日本で放映され、話題となり、最終回の平均視聴率が30%を超えました。数週遅れですが、こちらでも観ることができますので、興味深く、観させてもらいました。この度のシリーズでは日本国政府の幹事長にまでおよんだ不正に一介の銀行員である主人公、半沢直樹が踏み込んでいくのです。

このドラマで半沢直樹が何をしているかといいますと、一言で言いますのなら、彼は銀行や政府がなしている嘘偽りに向き合い、それを明らかにすることに体を張って、奔走しているのです。

一つの罪が別の嘘を生み、また別の罪を生み、嘘が加わる、そのようなドロドロとした人間に対して、半沢は相手がどんなに地位や権力を持っている人であっても、真実を語ります。しかし、相手はそれを受け入れずに、ごまかし、開き直り、さらには半沢に襲いかかろうとします。彼の息の根を止めようとします。

このドラマは人間の罪、嘘に対して、それを改め、誠実に心を入れ替えて歩みださなければならないと主張する者と、それを隠し通し、不正によって得た自らの地位と財を守り続けようとする者達のせめぎ合いのドラマなのです。

かつて聖書の中にも半沢直樹のような人がいました。このドラマのモチーフは聖書の中に既にあったのです・・・。

「あなたの隣人について、偽証してはならない」(出エジプト記20章16節)

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倍返しどころではない話

そもそも私達のこの命、その命が今もあるというのは神様からのギフトです。私達の家族は神様からのギフトです。私達が口に入れるもの、それは全て大地の恵みです。私達はこのようなことをほとんど何も考えずに毎日を生きていますが、私達が所有している物は全て神様が私達に与えてくださったものです。

聖書は私達が正当な方法で所有することを悪とは言っていません。それは神様の祝福です。しかし、一つだけ神様が私達に語りかけていることがあります。それは「私があなたに与えたものを、あなたはどのように私のために用いているのか。どのようにして、それらを用いて神の栄光をあらわしているのか」ということです。

このことに基づいて考えますのなら、もし、私達が神様から与えられているものを主のために用いず、ただ自分のためだけにそれを用いているのなら、それは神様が私達に与えてくださったものを盗用していることなのです。

「あなたは盗んではならない」(出エジプト記20章15節)

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度々、取り上げられる不倫について

日本では有名人が不倫をしていたということがニュースとなります。このことに関して、最近は、それはプライベートなことだから、その人の仕事とは区別すべきだという意見が多くあり、実際に欧州ではプライベートとその人の社会的な立場や仕事は区別されており、マスコミも国民も関心を寄せないと聞きます。

その背後には「結婚して、家庭を育む、死ぬまでそのままである必要はない」「本人が決めたことなのだからいいだろう」「人生は一度きりだし、各々が自由に生きればいい」というような考えがあり、そのような考えが私達の社会に定着しつつあるのでしょう。しかし、これら私達が考えうる思いに対して、聖書は一言、言うのです。

あなたは姦淫してはならない(出エジプト記20章14節)

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他人事ではない殺人

幼い子供が、疲れている、喉が渇いている父親を見て、水を飲ませてあげようと思って水を汲んでもってきます。しかし、その子は外で泥遊びをしていたので、その泥がコップにもついています。決してキレイとはいえません。それを見た父親がもし「こんな水飲めるか!」と子供に向かって言うならば、それはその子供の心を、その思いを殺していることです。

「今日、こんなに残念なことがあったの」と語りかけてくる妻に対して「俺は今、疲れているんだ、そんなことたいしたことないだろうが!」と、もし言うのなら、その言葉は妻の心を殺しています。

これらのことにより、私達は法的な罰を受けることはないことでしょう。しかし、その人の心には突き刺された傷が残り、その心が枯渇し、死に瀕してしまうことがあるのです。今日という日、この静かな殺戮がいったいどれだけ起きていることでしょうか・・・。

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取るべき地はまだある

チャールズ・ワグナーというフランス人の牧師は言いました。年をとることは悲しいことではないと言うことは難しく、そう言える人は、ほとんどいないでしょう。もし、あなたが過ぎ去った年月を取り戻そうと努め、髪が白くならないように、また目がかすみ、額にしわが寄らないようにしたいと思っているなら、確かに年を取ることは悲しいことです。

しかし、この世で最も美しいものの一つは、経験を積んでより寛容に、より優しくなった老人です。人間をその弱さにもかかわらず愛することができ、青年達をその若さゆえに軽んじない老人です。そのような人はストラディバリウスのバイオリンにたとえることができます。年を取るにつれてその音色は洗練され、その価値は百倍にもなります。そして、まるで魂を宿しているかのようになるのです。

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父母を敬うことは、神と自分を尊ぶこと

私は齢を重ねるたびに血というものを意識するようになりました。この写真は7年前に私が韓国の家族を訪ねた時に私の兄と撮った写真です私が生まれた時に兄は既に成人しており、兄というよりも私の父親のような存在です。

私はソウルで生まれてから二年足らずで日本に戻り、日本人として育ちましたので、韓国で暮らす兄と暮らしたことはありません。しかし、私は彼と同じ血を親から受けているのです。そのことゆえに、見てお分かりのように兄の姿は、私のこれから向こう10年、20年の姿をはっきりと指し示しています。私がますますこの世界を照らすことになることは確実なのです。

実際のところ、兄と私は母違いの兄弟なのです。よほど父方の血が強かったのでしょう。血を受け継ぐ、血が繋がっているということは、こういうことなのかと思わされます。

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日曜が変われば、生き方が変わる!

私が高校から大学の頃、日本はバブル経済のただ中にいました。日本がアメリカのランドマークのような不動産を買いあさり、世界の空港の免税品店には必ず日本人の店員さんがいた時代です。あの時代を象徴するCMが当時、流れており、私も高校生ながら口ずさんでいました。時任三郎が演じていた、リゲインという栄養ドリンクのCMです。売り文句は「24時間、戦えますか」でした。

あれから30年経ち、今日に至るまで私達は「過労死」「引きこもり」「バーンアウト」「ブラック企業」という言葉を生み、日本国では最近になって働き方の改革が見直され、休むということが注目され、最近になりますと定時になると会社の電気をすべて消して、従業員に帰宅をうながす会社があるというようなニュースも見聞きするようになりました。

かつての「リゲイン」のCMは今も健在のようです。しかし、そのキャッチフレーズが変わったようです「24時間、戦えますか」が「3、4時間戦えますか」と変わったのです・・・。

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全ての名にまさる名

「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない」(出エジプト記20章7節)

確かシカゴのオヘア空港だったと思うのですが、ゲートでサンディエゴ行きの飛行機への搭乗を待っていたことがありました。私が座っていたベンチの背後には食事がとれるようなテーブルがあり、そこでは4,5人の男達が大声で会話をしていました。彼らの会話には多くのカース(Curse:口汚い、罵りの言葉)が盛り込まれていました。そういう言葉を大声で、しかも誰にも聞こえるような場所でしゃべっている男達を驚き怪しむと共に、だんたんと彼らの言葉を聞いていることが不快になってきました。

彼らが口を開く時、そこには神とジーザス・クライストを罵る言葉が含まれていました。それは聞いているだけで、心がざわついてくるような言葉でした。困ったもんだなと思っていた、その時、私の側に座っていた女性がその男達の方に振り向き、強い言葉で言ったのです「子供も聞いているのだから、そのような会話はやめてもらえませんか!」。

確かにそのゲートには子供達もおり、彼らの会話はゲートにいる人達に聞こえるものでした。彼女の言葉は彼らと同じくらい、大きなものでしたので、周りの人にも聞こえたと思います。それを言われた男達、今度はバツが悪そうに、静かになりました。

私はその女性がしたことは正しいと思います。なぜなら、その言葉は私達の心に入り、私達の心を傷つけるからです。なぜ、傷つけるのか。私達は皆、神の子だからです。神の子でありながら、その父なる神についてひどい言葉を聞かされることは私達にとって屈辱なのです・・・。

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人が作った神々の姿

『あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない』(出エジプト記20章4節、5節)

私達が目で見て、手で触れることができる神々は、ある朝、私達の前に出現するものではありません。それは人間の手によって作られるものです。それを作ることは骨の折れることですから、その製作者は水を飲み、食事をとり、疲れを感じながらそれを作ります。作るのは人間ですから、その日の朝、夫婦喧嘩をして、荒々しい心でつぶやきながらカンナをたたくというような時もあることでしょう。

彼らは木を育てるところから始め、その木を切り取り、その一部を薪として身を温め、それでパンや肉を焼いて食べて、残った木で神々を作り、そして、その神々に向かって言います。「あなたはわが神だ、わたしを救え」。預言者イザヤは彼が目撃した事実について、このように語り、最後にこう締めくくります。「あなたは木の端くれの前にひれ伏すのか」と・・・。

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