リアリストであり、信仰者

その著書で世界的に有名なデール・カーネギーがあるラジオ番組で「あなたが今までに学んだ最大の教訓を三行の短い言葉で言ってください」と問われた時に彼が何と答えたかご存知ですか。彼は言いました。「私が今までに学んだ最大の教訓は、私がいつも何を考えているかということの驚くべき重要性です」。

続けてカーネギーは言います。「もし、あなたが何を考えているかが分かれば、あなたがどういう人か、分かります。なぜならあなたが考えていることが、今のあなたをつくっているのですから。考え方を変えると、人生を変えることができます」。

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今こそ、座って考える時

ここに竹があります。竹には節があります。竹の節はなぜあるのか。調べてみました。竹の節は竹に強度を与えるそうです。ご存知のように竹の中は空洞です。しかし、この節により、竹には強度が増します。

ここから「最小の材料から最大の強度をもつ構造物を作る」という研究が工学者の間でなされているといいます。人は神の創造した竹から学んでいるのです。

日本語には「人生の節目」という言葉があります。コロナで始まり、コロナで終わった一年、そして、私達は新しい年を迎えました。昨年の一年を思うのなら、この年は私達にとって人生の節目になりうるのではないかと思います。そうです、その節目は私達の人生をキリストにあって強固なものとします。

そのために今年、一番最初の日曜日、皆さんに「今こそ、座って、考えましょう」と提言させていただきたいのです。私達が持っている「持ち駒」を全て、自分の前に並べて、腰を据えて、これからのことを考えましょうということです。その時に、今年が私達の節目の年となると信じています。

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主よ、私と共に年を越してください。

かつて3歳になる娘が、眠る前に末っ子に添い寝して、寝かしている妻に、内緒話をするような小さな声で、こう言いました「ママ、憩(弟)が眠ったら私のベッドに来て、一緒に寝てくれない」。

大抵の場合、そう言いながら家内を待っている間に娘は眠ってしまい、家内も自分のベッドで気兼ねなく眠るのです。そして、そのまま朝を迎えることができたらいいのですが、夜中に娘が起きるとさぁ、大変!彼女は傍らに母親がいないと分かると、それが夜中であっても明け方であっても、シクシク泣きながら私達の部屋にやってくるのです。そして、私達のベッドにもぐりこんできます。

多くの子供にとって夜の暗闇は怖いものであり、寂しいものであります。子供が自分のベッドを抜け出て、親のベッドにもぐりこんでも夜は変わらず暗いのです、静まり返っているのです、しかし、そんな時でも彼らは知っています。自分は一人じゃない、ママがいるから、パパが一緒にいるから、もう平気。こうして子供は安らかに眠ります。

今から約3500年前にも「あなたが共にいてくれなければだめなのです」と言った人がいました。この場合、その人は子供ではなく、その年、80を超えた成人、モーセです。彼は臆病者ではなく、何百万ものイスラエルの民を導くリーダーです。その年齢と経験を考えても、熟練した指導者です。しかし、その彼が言うのです「あなたが一緒に行ってくれなければ、私達をここから行かせないでください」・・・。

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「乳飲み子」として生まれる意味

クリスマスの主役は2000年来変わらずに「飼葉桶に寝かされているイエス・キリスト」です。主役と言いましても、その時のイエス様は一言も言葉を発することができない乳飲み子です。彼は話すことも、立ち上がり、歩くこともできないのです。

この乳飲み子から、2020年、コロナ下に置かれた私達が受け止めることができるメッセージがあるのでしょうか。

今でこそ私達は年齢を重ねましたが、かつては誰しもが乳飲み子でした。私も皆さんもかつては母の腕に抱かれた乳飲み子だったのです。その名の通り、私達は抱かれ、乳を口に含ませてもらうことにより生きながらえ、成長してきたのです。

特別な理由や有名人でない限り、成人した私達の周りに人だかりができることはありません。しかし、無名の乳飲み子の周りに人だかりができることを私達は見ることがあります。そう、皆がその乳飲み子のもとにやってきて、すやすや眠る子を眺めるのです。その子は言葉を話せない、自分で立ち上がることもできないのに、その回りに人を集める力をもっています。

私達はその安らかな寝顔にひきつけられているのかもしれません。乳飲み子はなぜスヤスヤと眠ることができるのでしょう・・・。

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クリスマスはチキンとローソクか?

先日、家族と「日本ではクリスマスになるとケンタッキーフライドチキンに行列ができるのか」ということが話題となりました。今から30年も昔、私の住んでいた家の側にケンタッキーがありまして、クリスマスになると店の外にまで行列ができていた光景が私の脳裏に残っていたからです。今はどうなのか分かりませんが、考えてみれば不思議な話です。「クリスマス」と「チキン」は何か関連性があるのでしょうか。あのカーネルサンダースの人形がサンタの衣装を着ているというところが大きいのでしょうか。

かつてクリスマスイブはロマンチックな夜とされ、その日に恋人とどのレストランで食事をするか、ギフトは何を送ればいいのかというようなことを特集する雑誌がありました。闇夜に輝く「キャンドル」がロマンチックなものとして受け止められたのでしょうか・・・。

多くの方達にとって、クリスマスというものは、このようなものなのかもしれません。そこで、今日は本家本元、聖書が記録しているクリスマスについて見ていきたいと思います。

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恐れるな、ここに愛がある!

私達は神様が恵み深いお方であり、愛に満ちているお方であることを知っています。しかし、私達には忘れてはならないことがあります。それは、このお方は義なるお方でもあるということです。義なるお方であるということは、不正をないがしろにせず、それに対して裁き、ジャッジをなさるお方であるということです。不正に対して激しく怒るお方であるということです。このことにおいて神は私達が恐れるべきお方なのです。

時に神は怒ります。私達はその神の怒りの矛先に立つことだけは避けなければなりません。それこそが私達が最も恐れるべきことなのです。主イエスはその恐ろしさについて、かつてこう言われました。

『また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい』(マタイ10章28節)

このイエス様の言葉は私達に大切なことを気がつかせてくれます。そうです、このことは私達が恐れるべきお方は神であることを私達に語りかけ、それ以外の者に対する過剰な恐れはいらないということを暗示しています。神を本当に恐れる時に、その他の諸々の恐れから私達は解放されるのです。本当に恐れるべきものを正しく恐れる、この世界を生きるにあたり、私達がこのことを知ることはとても大切です。

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心の姿勢の大切さ

飛行機に搭乗し、しばらくしますとフライト・アテンダントが飲み物を積んだカートを押しながらやってきます。私達は「コーヒー」なり「ジンジャーエール」なり、自分が飲みたい飲み物を告げ、それをいただきます。そうこうしているうちに日本行きの国際線ですと食事が配られ、「和食」か「洋食」かと聞かれ、私達はどちらかを選択します。隣の人が自分と違うものを選ぶと、ちょっと気になり、横をチラッと見ます。時に「あー、あっちがよかった」とため息をつきます。でも仕方ありません、自分で決断したことなのですから。

神様は私達に自由な意思を与えられましたゆえに、私達は何を食べようかということを自ら決める自由が与えられています。たとえ機内食の選択を間違えても、到着した国でおいしいものを食べればいいでしょう。しかし、これが私達の人生の分かれ目に立つような決断となるなら話は別です。

私達はこれまで数えきれないほどの決断をしてきました。そして、その決断は私達の人生に大きな影響を与えてきました。そして、その決断ゆえに導かれてきたのが、今朝の私達なのです・・・。

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希望を語る前に、絶望について語ろう

神の前に「私達は主が仰せられたことをみな、従順に行います」と誓い、神との契約を結んだイスラエルの民は、時経ずして、心を翻し、自分達に先立つ偶像を求めました。

彼らは神を知らない者達ではありません。彼らをエジプトから救い出し、紅海をわたらせ、日毎にマナを与えてくださった存在を彼らは知っていました。しかし、彼らはいとも簡単に、その神に変わって、自分達の先頭に立ってくれる偶像を望んだのです。

その彼らの望みは大祭司アロンに伝えられました。アロンはモーセの右腕であり、畏れるべきお方を知っていた人です。しかし、アロンは民の願いを聞き入れ、彼らのために金の子牛を作り、彼らの前に置いたのです。そして、彼らはその前で熱狂したのです。

神を知っている者達が、いとも簡単に金の子牛を慕い求め、その置物に神に向けるのと等しい思いを託したということ、「ノー」と言うべきことを託されている者が「ノー」と言わなかったこと、これらのことを「絶望」と呼ばずに何と言いましょう。

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皆と、そして一人で主の前に立つ

私達は今、コロナ下にあり、オンラインでの礼拝を捧げており、礼拝後にはズームによる「コーヒーアワー」と呼ぶ時間も設けています。

しかし、コロナが始まった時から折に触れてお話ししておりますように、これらは私達の本来の姿ではありません。イスラエルの民がシナイ山の麓で、共に神様の前に立ったように、初代の教会の者達が一つ所に集まり、主を拝し、互いの交わりを深めていったように、本来、私達もキリストの体なる教会にて、共に主の前に出て、主に礼拝を捧げ、また主にある交わりにあずかるべきなのです。

ですから皆さん、どうぞ今から心に刻んで、心備えをしておいてください。我々がコロナ感染の危機から解放された時には再び、主の宮に集まるということを!。

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「比較」と「妬み」で人生を終えない

比類なき富を築いたイスラエル三代目の王、ソロモンの言葉。

『また、わたしはすべての労苦と、すべての巧みなわざを見たが、これは人が互にねたみあってなすものである。これもまた空であって、風を捕えるようである』(伝道の書4章4節)。

「すべての巧みなわざ」。この言葉に含まれることは無数にあることでしょう。今日も巧みなわざによる開発、発展、革新が日夜なされています。ソロモンはそれらを見て、悟るのです。これらは我々のねたみによって成し遂げられてきたのではなかろうかと。

どこかで誰かが何かを発明する。それを商品として販売すると、たちまちヒットする。顧客は自分の会社の製品の前を素通りし、その会社の商品の前に人だかりができる。その光景を見る同業者は心の中に何を思うのか・・・。

自分が立案したプロジェクトと同僚のプロジェクトが競合され、同僚のプロジェクトが採用される。社内での賛辞が同僚に向けられる。その光景を見る者は心の中に何を思うのでしょうか・・・。

 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない(出エジプト記20章17節)。

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