誰かが呼んでる

「道の駅」に立ち寄る人達は我先にとトイレに向かう。パーキングからトイレに続く、その路上に彼は楽器を並べて歌う。

 

ある人は故郷に帰省する道中かもしれない。ある人は恋人に会いに行くのかもしれない。その道すがら、彼の歌が目的地に向かう人達に語りかけている。そう、それは旅人から旅人へのメッセージ。

マック

追伸:もし、日本のどこかの道の駅で彼の姿を見かけたら、気楽に声をかけてください。

 

 

微動だにせず

2013-03-08_07-34-17_840山鳩にとって我が家は出産に適した良き物件のようです。これまでも家の軒下に何度か巣を作っては子育てをしていましたが、今度は庭の木に巣を作り(高さ一メートルほどの所に!)、早速、卵を産み温めています。

昨晩は大雨で、今朝も雨が降っていましたが鳩の親は微動だにせずに卵を守っていました。このような親鳥の姿を私達が垣間見ることはあまりありませんが、今もいたるところにこのような親鳥が幾万羽もいてわが子を守っていることでしょう。

お父さん、お母さん、今週もご苦労さまでした。今日も一日、顔晴りましょう。

マック

言葉

Michi昨晩、森繁昇さん、森繁さんの友人の高橋さんといつもの中華料理屋でラーメンをすすりながら、色々なことを話しました。印象的だったのは森繁さん曰く、音楽で一番大切なことは「メロディーに込められた言葉」であるということ。「言葉」こそがその音楽を聴く人の魂に届きうるものであるということでした。ちょうど来る日曜日の礼拝ではヨハネによる福音書を語らせていただく予定で、その準備している者にとって、全く同じ事を考えていたので、深く同感しました。

世の中には諸々の宗教があります。その多くが瞬間的な感情に何かを訴えてくるものです。「おー今、鳥肌がたったぞ」とか「ぞくぞくとした」というのは、その瞬間には強烈なインパクトがありますが、その気持ちがその人の人格や日常生活に影響をおよぼすことはほとんどありません。「フィーリング」にとどまっている限り、それはまさしく「その時、感じている」ことであり、時がくればその「感じ」は消えてしまいます。人生に起こりうる諸々の荒波は私達のフィーリングによって太刀打ちできるようなものではありません。

しかし「言葉」は私達の心に刻まれます。創世記が『神は「光あれ」と言われた、すると光があった』で始まった時から、神は「言葉」によって私達の心に語りかけるという偉大なる戦略をもっておられたようです。そして、その言葉を受けてイエスの弟子ヨハネが『初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった』と書き記したことによって、私達はこの言葉が私達の人生の土台になりうるということを確信したのです。

森繁さんは訪日する度に改造したマイクロバスに乗り、日本各地の「道の駅」で路上ライブをしているとのこと。これからの夢は1000箇所もある道の駅を全てまわりたいということでした。森繁さんの奏でる言葉が、道の駅で羽をやすめて次の場所に向かう方達の心に刻まれますようにと祈っています。

さぁ、今日はこれから二回のコンサートがあります。メロディーにのった言葉が森繁さんの祈りと共に全ての人達の心に届きますように。

マック

 

森繁昇 ゴスペル・コンサート

3月5日(火)、ハワイからゴスペル・ミュージシャンの森繁昇さんをお招きして、コンサートをもちます。

 

当日は午前10より教会で、また午後7時からはティラサンタにてもちます。ご興味のある方はお気軽にご連絡ください。mmokura@gmail.com, (619) 234-5627

「もし本当なら知りたい」・・・そう思った時、ゴスペルが私を変えた。1973年、私はテネシー州のナッシュビルに住んでいました。そんなある日、私は心にひとつの問いかけをしました。「万物の造り主は存在するのだろうか?」それまでは、「造り主の神がいるなんて、おとぎ話さ。男一匹死ぬ気になりゃできないことはないし、自分に正直に生きればいいさ。」と思っていました。ふと私が万物の造り主がいない、と信じている根拠はどこにあるのか考えてみた時、幼い頃から家や学校では造り主がいるとは教えてもらわなかった事。また、皆も知らなかった事。それだけの理由で「いない」と決めつけていた事に気づきました。造り主の存在する可能性がほんの少しでもある、と認めた私は万物の造り主がいるなら知りたい、と強く思いはじめました。その方は、私を知り尽くしているに違いない。その方が心の中の基準として人を見る時、私は人の目と耳とを基準にして生きてきました。自分の一番近い兄弟さえ時として愛せなかった私。悪いと思っている時でも自分の都合により平気でやってしまっていた醜い私。私はその時、自分の本質をはっきりと見たのです。しかし、そんな私でも愛して赦してくださる神が本当におられるなら知りたい、と心を開いたとき、「捜しなさい。そうすれば見つかります。」という聖書の中のイエスキリストの約束が私にとって現実となったのです。   森繁 昇

森繁昇プロフィール

1950年 山口県熊毛町に生まれる。

1973年 渡米し、翌年クリスチャンとなる。

1978年 日本に帰国。

1984年 ファーストアルバム「ス-ン」(Soon)を制作。音楽を通してキリストの愛を伝え始める。

1985年 ナッシュビルへ移住。セカンドアルバム「ザディ」(The
Day)を制作。

1986年ハワイへ移住。「無条件の愛」「時間と空間の始め」「高く翔う」などのアルバム制作。道の駅、公園、通りなどで、ゴスペルの永遠の希望を歌いながら各地を旅している。

 

 

ウータン

数週間前から我が家に家族が加わりました。チョコレート色のミニチュア・REXのウータン。


P1100043うさぎがこんなに人懐っこいとは知りませんでした。なでていると気持ちよさそうにしており、抱いていると体温がこちらにも伝わり、いつまでもじっとしています。それぞれがケージの前で一人、ウータンに何かを語りかけていることをよく見かけます(子供達にとってとても大切な時です)。妻は子供達が寝入った夜、ウータンの好物の枯れ草をあげながら、一人、何かを語りかけています(かく言う私も一日を省みながら、相手になってもらっています・・・)。

小さく、弱い命が私達の心を癒してくれています。

マック

 

追伸:ということで、ケージはウータンの家となりました。めでたし、めでたし。

「遊びじゃないなら何なのよ」

荒野で一晩を過ごし、我々一行は公園内のとある場所に向かいました。そこには今から1000年ほど前のNative Americanが書き残した壁画があるということを最近、知ったのです。

しかしながら、これが灼熱の道程のはじまり。一般道から荒野に入り込んだ道は舗装道路どころの話ではなく、やがてそれは大雨の後の濁流が形作ったのでしょう、右左に傾斜した道となり、さらに進むと道は砂でうまり、こんなところにジープではなく(ジープなど持っていませんが)、ミニバンで来てしまっているわが身の愚かさを悔やみつつ、さりとて引き返すことも悔しく、何度も迷いつつ、でも、ひたすら前進しました(結局、始めから終りまで人っ子ひとり、誰にも会うことはありませんでした)。

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「こういうところで車がとまってしまうと、やがて陽が暮れてコヨーテの群れに囲まれて弄ばれて衰弱していくんだろうな」とか「このような周囲数十キロ人がいない場所で武装集団に襲撃された場合(なんだ、そりゃ)、どのように応戦したらいいのだろうか」とニガティブな思いばかりがリアルに頭に浮かびます。そんなことを考えながら、砂の中にタイヤがとられないように必死の形相でハンドルを握っているのに、後部座席では子供達が「わぁーインディアナ・ジョーンズだぁ~!ヒャッホー」と盛り上がり、その騒ぎはエスカレートし、真剣な私にはやかましく、口から出た言葉は「こらぁ~、こっちは遊びに来ているわけじゃないんだ!(怒)」と声をあげると、助手席の妻が「遊びじゃないんなら、なんでこんな所まで来ているのよ?」と冷静な一言。その一言でハッと我にかえり、あやうく荒野の只中で崩壊しそうになった家庭を守ることができました。

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どうやらこうやら脱水症状および熱中症危険信号点滅のまま目的地にたどり着き、かの壁画に対面し、されど、もはや悠久の時の流れに静かに思いを寄せる余力はなく、壁画の前でヘラヘラと笑い合い、無事に生還、そう、まさしく生きて還ることができました!

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もしかしたらこの壁画は写真下段のような、おちゃらけた子供の落書きだったのかもしれません(笑)。そう思うと「こんな所まで子供の落書きを見に来たのか」と体中から力がぬけていきました。完。

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マック

教訓:荒野は厳しい。ほんとうに厳しい。聖書の読み方がこの体験で変わると思います。

荒野の泉

聖書の世界は主に現在のイスラエル周辺を中心とした乾燥した土地の話であり、それゆえに「荒野」とか「泉」という言葉がよく出てきます。しかしながら私達は普段、荒野に住んでいるわけではなく、それなりに整備された街に住んでおり、荒野での生活というものはどんなものなのか、荒野に泉があるということにはどんな意味があるのかを本当に知ることはできないと思います。

このようなことは紙面で想像するよりも、実際に荒野に行き、その灼熱の日差しを全身で浴び、埃を全身にかぶり、泉に全身、浸るのが一番、ということで、去る日曜日の夕刻から、メキシコ国境をかすり、国境警備隊の尋問を受けつつ、アンザ・ボレゴ砂漠州立公園内にテントをはってきました。その名も「Agua Caliente」、スペイン語で「熱い水」を意味する荒野にひっそりと湧く温泉地帯。

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なべ底にいるような静寂に包まれた夜は、誰も通らない道にしばし仰向けになり、まさしく落ちてくるのではなかろうかと思うほどの満点の星空を眺め、「家の中でネットにしがみついている現代人と毎夜、こんな空を眺めて眠りについた昔の人との違いについて」「昔の人はこの星空をどのように理解していたのか」等々、ああでもない、こうでもないと各々、思うことを語り合うことができました。

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夜中にはテントのすぐ側で一匹のコヨーテが遠吠えをすると、他の数匹が続けざまに遠吠えをはじめ、まさしくこれぞ荒野、自分達は彼らのテリトリーに一晩、場所を借りているのだなと実感しました。

マック

追伸:温泉というと渓流のせせらぎや森林の香りを思い出しますが、見渡すかぎりの荒野に湧いた温泉はまさしく心身ともに潤してくれる天からの賜物でした。

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Here Comes the Boom

Here_Comes_the_Boom_Poster子供達は今週から二週間の秋やすみ。昨晩は試写会チケットを五枚ゲットして『Here Comes the Boom』を劇場、最前列で観てきました(首が痛!)。

「生物教師」「音楽教師」、「UFC」、「ブラスバンド」、「米国市民権クラスの移民達」をうまくミックスさせて、「Dead Poets Society」「Rocky」「Born in East LA」「Sister Act」のコンテンツを盛り込み、これぞエンターティメントという作品。久しぶりに涙を流して、何度も爆笑しました。それでいてなかなか考えさせられる場面もあり個人的にはTwo Thumbs Up!

No one will fight for his students like Mr.Voss. 

マック

追伸:映画中、聖書の言葉も出てきます。さて、どの箇所でしょうか。それは見てのお楽しみ。

Trailer

 

フラ&敬老祝会

先週末は色々ありました。

土曜日にはフラ・ミニストリー。はじめての試みでしたがダンスと言葉による種まきとなりました。蒔いて、蒔いて、とにかく蒔いて、いつの日かの収穫を確信しています。フラチームの皆さん、いつも素晴らしいダンスをありがとうございます。指先の動きからさえ、神の愛と皆さんの真実な心が伝わっています。

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日曜日の礼拝後には毎年恒例の敬老祝会。私達の教会では80歳以上の方達を対象として、この日には皆でお祝いをします。今年も皆でおいしい食事をいただき、ゲームを楽しみました。若い世代の方達が(この“若い世代”には幅広い前向きな解釈があります 笑)、このために前々から準備にあたってくださり、心をこめてお弁当を作り、お赤飯と紅白のお饅頭が配られました。事前の会場設置、食事の諸々の準備と段取り、最後の後片づけまで終始笑顔のチームワークには脱帽。牧師が入りこむ余地は全くありませんでした(感泣!)。


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敬老の日を迎えられた皆さん、いつも若い者達を温かい笑顔で迎えてくださり、ありがとうございます。皆さんのご愛とその後ろ姿に私達はどんなに勇気づけられ、励まされていることでしょうか。私達は皆さんが築いてくださった土台の上にこれからも教会を建てていくことができますようにイエス・キリストにあって励みます。

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乳飲み子から高齢者まで、私達はまさしく大きな家族です。

マック

 

 

第六回レイバーディーキャンプ

今年もやってきました恒例のレイバーディ・キャンプ!今年はウエストビナ教会の兄弟姉妹も加わり、それぞれの礼拝後、とあるキャンプ場に集合。大いに食べ、話し、学び(?)、笑いました(注:このキャンプの趣旨は単純で、おおいに食べて、おおいに話して、おおいに笑って、主の御名を崇めましょうというものです)。

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今年は思いがけなく二箱もの生麵をいただき、闇夜の明かりの中にラーメン屋台が出現し、すぐに行列となりました。

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「なると」というこだわりに涙が出ます(笑)M夫妻、ありがとうざいました!

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「スプリンクラーの反乱」という試練を受けつつも、皆、元気に朝を迎え、のんびり、まったりと朝を過ごしました。先に帰ってしまった方達がいたのが残念ですが、今年も恒例の全体写真。

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明日から新学期を迎える子達もいます。お父さん、お母さん、子供達、さぁーまた明日から顔晴りましょ!来年?9月1日、2日は空けておいてくださいませませ。We will be back!