拓三さんに迎えられ

20年前の今日、明け方5時頃、私は生まれてはじめてアメリカ大陸に立った。朝霧がたちこめるオレゴン州、ポートランド空港だった。太平洋を渡り、機内からエアポートに一歩、足を踏み入れた時のことを今でも覚えている。

朝5時の空港に人は・・・、いない。で、でも椅子が並ぶ待合室で帽子をかぶった男性が一人、座っている。あの人はこんな朝早く何で一人でここにいるのだろう。合衆国で初めて見る人。どんな人なんだろう。そんなことを思い、ちらっとその男性を見て通り過ぎた。「????」「あれ?」

そこには、一人ポツンと座る故川谷拓三さんがいた・・・。

まさか合衆国第一歩をあの素敵な照れ笑いが迎えてくれるなんて!ハンバーガー、マッシュポテトを覚悟してやって来たわけだけど、米国到着早々「日清のどん兵衛」が食べたくなった(あえて説明しませんが、分かるよねー)。

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マック

追伸:拓三さんは「オレゴンから愛」の撮影に来ていたらしい。あれから20年。「サンディエゴからジーザスの愛」を伝えている。

私はなぜPho食堂に一人で行くのか

先週、家内から「来週の月曜日は友達とおはぎを作って、ランチも食べてくるから」と言われていた。ということは、私はしばし一人の時間をもつことになる。そして、そうなるとランチはどうしましょかということになる。

つまり、こういうことだ。妻子がいない一人の休日に夫、兼父親、兼パスターは何を食べたらいいのかという問題だ。冷蔵庫の中を見たけれど、食材と食材との組み合わせに心躍るイマジネーションが浮かぶことなく(エラソーなことを言っているが私が言っている組み合わせとはせいぜい、納豆と生卵、そして青ねぎ程度の組み合わせのことである)、カップラーメンもいいけれど、先日「緑のたぬき」を食べたばかりだし、そんなことを考えていたら、私の脳裏に浮かんできたのはあのPho食堂だった。

現場に向かう途中、そういえばあの時も妻子は訪日中だったなーなどと思い出しつつ、ということはこのようなシチュエーションになると私の足は、なぜPhoに向かうのだろうかと何か新しい自分を発見したような思いでハンドルを握っていたのであります。

そして、あの日と何も変らないベトナムのおじちゃん、おばちゃん、お兄さん達に囲まれて、あの日と変らないアツアツの本場のPhoが目の前に出されると、なぜ、私がここに来るのかが少し分かったようにも思えるのです。

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私は一杯のPhoを食べる時だけ、昔を思い出してプチ・バックパッカーになっているんじゃないかなと・・・。確かに、ここに家族で来てしまったら旅人ではなくなってしまいますから・・・。

マック

コーヒー

15年ほど前に中国を経由してインドまで旅したことがある。その時は上海から上陸したのだが、当地は今ほどの発展はなされておらず大きなホテルのロビーで出されるコーヒーがインスタントなのには閉口した。今はそんなことはないと思うけれど、結局、美味しいコーヒーを中国で楽しむことはできなかった(その後にインドの道端で飲んだチャイ(これはミルクティだけど)の美味かったこと!一日に何杯飲んだか分からない)。

ということでコーヒーが好きだ。朝、これがないと目覚めたような気がしない。いつかゆっくりとお気に入りの小説を持って、スタバにでも行って、半日でもノンビリと過ごしたいと思うけれど、思うだけで実現したことはない(やっぱり全ては子供達の巣立ちにかかっているようです)。

そんな私にとって時々お世話になっているカフェがある。そこは教会から歩いて1分もかからない場所にあり、お耳やお鼻にピアスをしたお姉さんや両手にカラフルな刺青を入れたお兄さんがサーブしてくれる。アツアツのコーヒーに並々とミルクを入れて、ウハウハとオフィスに戻ってきて、また一仕事とりかかる。これがどうしてなかなか幸せを感じる一時なのです。

もし、あなたがサンデイェゴに来られましたら、お連れします。
ウハウハとコーヒーを楽しみましょう。

マック

九州

今回の訪日は東京を通り越して九州のみになった。私は九州に住んだことはないが(厳密に言うと、沖永良部島は九州だけれど、ちょっと違うなー)、その自然の豊かさには感動した。

南カリフォルニアの街中には椰子の木が揺れている。でも、少し東に行けばガラガラヘビやサソリ、コヨーテが住んでいる荒野がどこまでも続く。そこには木々は生えておらず、あるのはサボテンだけ・・・。

そんな環境に暮らしている者にとって九州の森は特別なものだった。なにせあの濃いグリーンをサンディエゴで見ることはできない。一両編成の電車で湯布院や九重の辺りを通ったが、いたるところに生命の躍動を感じた。一歩、森に入れば、きっと私は蚊の餌食となり、蜘蛛の巣が頭にからみつき、蝉の鳴き声に圧倒されることだろう。そして、いたるところに田んぼがある。埃っぽい乾燥した大地ばかりを見ている者にとって、この緑のジュータンは新鮮だった。帰宅してからの食卓でも、誰もが聞いたことのあるセリフを息子に話した。「おいおい、君のお茶碗の中に残っている米粒、それは、あの田んぼで一生懸命に育てられたものだぞ。残したらだめだ」。説得力ある言葉に彼の茶碗から米粒は完全に消えた。

そして、あちこちで見かける清流!私は小学校時代の多くの時代を栃木の川で過ごした。手づかみで魚をとることの興奮と喜びがまだ私の手には感触として残っている。でも、そんな戯れはもう関東の川ではできない。なぜなら、川岸が全てコンクリートで固められているからだ。でも、九州の川は違った!川岸はどこも藪で覆われていて、手づかみで魚を取ることを喜びとしている者には楽園に見えた。人の手が入っていない川があんなにあるとは!

全然違う環境を訪ねてみるというのは、とても刺激になることが分かった。そして、今、ふり返ってると、ちょっと癒し系の休暇だったようだ。

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Saving Private Mac

昨日、突然参上したたしんはフィラデルフィアにあるAOI(あおい)という日本食レストランで店長兼、板前さんをしています。ということで、スゴイ土産を持ってきてくれました。

昔、私は彼に「イクラ5粒でご飯を5杯食べたことがある」と言ったことがあります(これはホントの話で、小さい頃、貴重なイクラをいただいた時、もったいないので一粒を噛んだ瞬間にごはんを一気に口に入れることにより、5粒で5杯を食べたのです)。たしんは今でもそれを覚えていて、業務用のイクラを一キロ持ってきてくれました。我が家の家族は皆、訪日中なので、今朝は二人でそのイクラを丼にたっぷりとのせていくら丼にして食べました(妻よ、子達よ、スマン。お主らがイクラ好きなのは知っている)。5粒5杯の私にはもったいない話で、夢のような朝食になりました。

そして、我らはメキシコに行きました。アミーゴ達との愉快なかけひきをしながら、これまた美味くて安いタコスを堪能しました。我々のお腹の中にはイクラとタコスという日墨の味が混在しており、なかなか国際的な朝昼食となりました。

しばし、ラテン世界を愉しみ、ボーダーはいつも混むので午後早めに国境に向かったのです。そして、イミグレーションの窓口を通りぬけようとした時、私はおもわぬ事態に直面しました。それはアメリカに帰るにはパスポート以外にグリーンカードがいるという事実でした。しかし私のポケットにはパスポートしかなく・・・。イミグレーションのオジサンは「我こそはアメリカ合衆国の門番である!」というような表情で厳しく、罰金を払うか、誰かにここまでグリーンカードを持ってきてもらえと言うのです。

罰金はいい、でも、そのために並ぶ長蛇の列の前をたった今、我々は「君達、こんなに暑いのに大変だね」というようなことを話しながら歩いてきたのです。あれに並ぶなら今日、夜9時15分発のたしんの飛行機に間に合わなくなるかもしれません。しばし、たしんと作戦会議。結局、彼が国境を抜け、アメリカに帰り、私の家に行き、私が隠しているグリーンカードを探し出し、帰ってくるということになりました。たしんが去ったのが2時過ぎ、4時に国境入り口で会おうという約束をして・・・。

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しかし、時間になってもたしんは来ません。私はといえばたくさんのメキシカンの皆様に囲まれて、鉄格子にへばりつき、入国してくる群集の中からたしんを見つけようとしました。でも、彼は来ません。心の中では「走れメロス」の筋書きを思い出したり、「Born in the East LA」という懐かしい映画の結末は何だたっけと考えたり、まさしく祈りつつたしんの帰還を待っていたのです。

そして、5時40分が過ぎた頃だったと思います。たしんが彼方で係員の人と話しているのを見つけました。私は鉄格子によじ登り、なりふりかまわず「たしーん」と大声で叫んだのです。たしんがそれに気がつき歩み寄ってきた時には、彼の顔が輝いて見えました。かくして我々は(私は)メキシコから生還できたのです。

たしん、遥か東海岸からサンディエゴに来て、アメリカーメキシコーアメリカーメキシコーアメリカと二度も外国を行き来させてしまって本当にスマンカッタ。今頃、君は飛行機の中だろう。非常に濃い一日に爆睡しているのではないかと想像している。

まさしく今日のような出来事は10代の頃に起こるべき出来事であり、それが妻子を持つ我々に起きたということも、我々らしくていいではなかろうかなどと無責任にも今、感じてもいる。たしん、明日からの仕事をがんばってくれ。私もがんばる!

たしんに救出された
マック