ありがとうございました!その三

今回は移動が多く、滞在先もそのほとんどが九州でしたので会える方が限られていたのは残念でしたが、その中でもかつてサンディエゴにいらしたM家が新幹線で愛知から京都まで会いに来てくださり、おいしいお鍋をご馳走になりました。Hちゃんも大きくなって、Tさん、Yさんも幸せそうでしたね。11月の大切な日のためにお祈りしています。そして、サンディエゴ移住をまだ信じて祈っています(笑)。

三鷹キリスト教会の濱和弘先生、その枝先生、Nさん、K君には大変、お世話になりました。温かく迎えてくださって、おいしい本場大阪のおこのみやきをいただき、神学、牧会からゴジラの話まで幅広く(笑)、色々なことを教えていただけましたこと、この夏の宝となりました。いつの日か先生をチャージャーズのゲームにお連れします日を夢見ています。

信愛小金井教会の皆さんには礼拝にお招きいただきましたこと、教会に滞在させていただきましたこと、心よりお礼申し上げます。都内で五人の者が居る場所を見つけることは難しく、大都会東京で田舎のねずみにも帰る場所があることによって心身ともにやすませていただきました。

そして、佐伯教会の皆さん、この度も大変お世話になりました。子ども達が日曜学校で楽しい時をもたせていただいたこと(長男は来年は一人ででも佐伯に行きたいと言っています)、妻が母教会でもう一度、原点を再確認できたことは大きな収穫でした。外様のわたくしではありますが、いつも自分にとっても母教会のようにむかえていただき、感謝に絶えません。

最後に佐伯小学校の先生、お友達、短い間でしたがありがとうございました。温かく迎えられ、そんな皆さんとの別れをどんなにか子ども達は悲しんだことでしょうか。一生の思い出をありがとう!

日本の夏 5 282 日本の夏 1 キャノン 082
日本の夏 キャノン 534 日本の夏 5 423 日本の夏 5 425 日本の夏 1 キャノン 136

マック

ありがとうございました !その一

今年は6月末から動き回っており、なかなかブログもアップできずにいました。そこで今日は八月最後の節目の日ということで、この夏お世話になった方々に心からの感謝を、その一から五までまとめてお送りします。

Photo 2011-07-05_00-13-43_748

今年の夏はニュージャージー日本語キリスト教会での修養会から始まりました。錦織学先生ご夫妻、教会の皆さんとのお交わりによって、まず私自身、たくさんの祝福を受け、多くのことを学ばせていただきました。NYからタイガーもかけつけてくれて、なんとも励まされました。

修養会後のBBQ、そして先生と駆け抜けた真夜中のマンハッタンは忘れられない一夜となりました。それに対抗するわけではありませんが、こちらにいらした際には、ティファナを駆け抜けていただき、本場のタコスを体験していただきたいと思います(笑)。東と西と場所は異なりますが、これからも喜んで主に仕えてまいりましょう。

マック

新世界!

大阪、新世界。

日本の夏 3 キャノン 116

 

 

 

 

 

 

 

 

この「ジャリンコちえ」が出てくるような界隈で、実に20年ぶりになるでしょうか、「パンチパーマのおじさん」がヌッとあらわれました。それは、奄美大島で絶滅危惧種の「アマミノクロウサギ」に遭遇した場合に受ける衝撃と同じようなものであったと思われます。大阪、人間の懐が深いなー!

イエス・キリストが現代の日本にいたら、きっと新世界の串かつ屋でも話されたに違いないと私は思いました。

マック

伝えておきたいノウハウ

日本の夏 5 290 前にも書いたと思うのですが、私は「旅」と「旅行」を区別する者です。すなわち「旅」とは一人でするもので、「旅行」とは誰かと共にするということです。

この度の日本国内の移動には時間がかかりました。飛行機、新幹線、特急というものを全く計画に入れなかったからです(というか、ただ高かっただけ 冷汗・・・)。ですからバス、フェリーを乗り継ぎつつ東京から九州に行きました。帰りはフェリーと青春18切符を使いました(JRさん、若者達のために、これを廃止したらいけません。絶対に!)。5枚つづりの18切符を5人で使い、京都から神奈川まで乗り換えが5回ほどありましたが、8時間ほどかけて帰ってきました。

日本の夏 5 301 京都ではユースホステルに泊まりました(ドミトリー、キッチンつきで自炊ができて助かりました。アジアナンバーワンに撰ばれた宿とかということで、確かに施設もサービスもその値段にもかかわらず最高でした!)。宿泊客の95%は日本人ではない各国から来た汗臭いバックパッカー達(笑)。若き日を思い出しつつ、そんな所に子連れで泊まっているわが身の歳を感じました(笑)。このような旅行を計画した理由は、格安で移動すること、格安宿に泊まること、時間をかけて地元の人と同じ目線で活動すること、そのノウハウを子供達に体験させたいという思いからでした。

聖書の中には神が人に対して、様々なことを悟らせる場面がありますが、その多くはその人間の旅、もしくは旅行中になされます(思えばユダヤ人の歴史はまさしく旅そのものですね)。特に私は旧約聖書中のヤコブの一人旅というものを「若者が神に出会う一つの型」だと思っていますので、いつの日にか子供達にも一人で「旅」に出てほしいと願っています。

マック

旅情報:青春18切符、 K’s house in Kyoto

土手とちゃり

 

日本の夏 3 キャノン 017 日本にあってアメリカにないもの。それは子供達の自由。ランドセルを玄関に放り投げ、自分達の好きな場所に行って夕暮れまで遊ぶこと。そんな「あたりまえ」がアメリカにはない。

妻の実家の裏には九州屈指の清流、番匠川が流れている。この土手をすべり落ちるのも自由、ちゃり(自転車)で、遠出するのもよし。亀と迷うのもたまにはいい。

 

日本の夏 3 キャノン 026 日本に住んでいると分からないかもしれないけれど、これは他国に対する日本のとてつもないアドバンテージだと思う(しかし、外で、土手で、川で遊ぶ子供達はあまり見かけない)。こんな環境から子供達は天父の存在をおのずと学ぶのであって、塾に行っている暇はないと思うのだが・・・(笑)。本来、遊ぶのが仕事でしょ、子供の。

マック

 

ランドセル

「ランドセル」こそ日本の小学校を象徴するもの。歩くたびに「カシャカシャ」と中から音がします。

日本の夏 1 キャノン 107

ランドセルは日本人である私達が最初に背に負うものなのかもしれません。やがて、それはバックパックと姿を変えていき、大人になると、目には見えない諸々のものを背負って私達は生きています。子供達は横なぐりの雨の日も、猛暑の日もこのランドセルを背負って通学しました。

わたしたちも・・・。

マック

追伸:ところで「ランドセル」って何語?

 

九州

早朝、大分港に入港。海から眺める街は、それがどこであっても味があります。6週間ぶりに再会した子供達、久しぶりにじゃれあうべく、取り急ぎ教会の側を流れる川にもぐりに行きました。川岸の草やぶに顔を突っ込み、網を揺すると「いいかたちの手長えび (ザリガニとは違いまっせ)」。こんなのがうようよいるんだから、九州の生き物の濃さには脱帽です!

日本の夏 3 キャノン 042

夜は手長えびの素揚げ。塩をかけてサクサクと。私達は神様の大きな御手の中で養われています。

日本の夏 1 キャノン 363
マック

 

 

マルコの実家にて、わしも聴いた。

エルサレムにてマルコの実家に立ち寄りました。聖書のこんな出来事があった場所です。

ペテロはこうとわかってから、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家に行った。その家には大ぜいの人が集まって祈っていた。彼が門の戸をたたいたところ、ロダという女中が取次ぎに出てきたが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり、門をあけもしないで家に駆け込み、ペテロが門口に立っていると報告した。人々は「あなたは気が狂っている」と言ったが、彼女は自分の言うことに間違いはないと、言い張った。そこで彼らは「それでは、ペテロの御使だろう」と言った。しかし、ペテロが門をたたきつづけるので、彼らがあけると、そこにペテロがいたのを見て驚いた。(使徒行伝12章12節-16節)

旧市街は迷路のようになっており、あっちこっちと悩みながら、なんとか見つけました。

2011年2月13日(日土) 119 2011年2月13日(日土) 120

現在、ここはシリア人教会となっていました。上記の写真の門をくぐって中にはいると教会があるのですが、小さな中庭は閑散としてり、扉は堅くしまっており、誰もいません。しばらく、中をのぞきこんでいると一人のおばあちゃんが屋上から降りてきて「入りなさい、入りなさい」と教会の鍵を開けて、中にいれてくれました。そして、シリア訛りの英語でひとしきり、私達以外に誰もいない小さな礼拝堂で、この教会について話してくれました。彼女曰く、ここは「最後の晩餐」がもたれた場所でもあるとのこと(他にも最後の晩餐の部屋というものが市内にはあるのですが、このさい、それがどっちであってもかまいません)。また、確かにここはマルコの母の家だったようです。

ここで獄に捕らわれているペテロに対する祈りがあり、その後の疑心暗鬼と驚異の喜びがあったのかと思いますと、また、おそらく復活後40日の間、イエス様はおそらくこの家でも弟子達に度々、姿をあらわしたとも言われており、そう考えると感無量となりました。そうこうするうちに、この不思議なおばあちゃんは「私達は今もイエス様が話されたアラム語を話しているのよ、聞きたい?」と言いつつ、私の返事も聞かずにアラム語で(おそらく:笑)主の祈りを大きな声でアカペラで歌い始めたのです(この間、まだ私一人:笑)。

その歌が上手なのかどうなのか、実際に言葉の意味も私には分かりません。でも、その時、確かにこの場所にその昔いて、祈りを捧げていた人たちの息遣いを感じました(きっと、このおばあちゃんは来る人、来る人にこの歌を聞かせているんだろうな)。このおばあちゃんとの出会いと歌は強烈で、私は生涯、マルコの母というと、このおばあちゃんの顔を思い出すかと思います(笑)。

2011年2月13日(日土) 121
教会内部と左下にいるのがシリア人のおばあちゃんです。

マック

イスラエル食浪漫紀行

まだ記憶が新しいうちにイスラエルの旅について重要なことをアップしておきます(笑)。この旅の日程の2/3はユースホステルにお世話になりました。イスラエルは物価がアメリカよりも高いように思われ、その中でユースは他の宿泊施設に比べるとリーズナブルで清潔だったと思います。何よりも助かったのがユースの全ての宿泊にはバフェの朝食がついてくるということ。計4つの異なるユースにお世話になり、ほぼ皆、同じメニューでしたが、毎朝、まさしくパワーブレックファースト、野菜と魚とチーズをしっかりとり、昼は朝のゆで卵を二つ確保しておいて、歩きながら食べるという日が続きました。

2011年2月12日(土) 001 2011年2月14日(月) 295

晩についてはコンビニのサンドウィッチですますことも多く、振り返ればそれでもあまり空腹を感じなかったと思います。あらためて食事というのは精神的なもので、食べる相手がいなければ、特に何かを食べたいという気持もうすれるということを確認しました。

エルサレム、ダマスカス門側のアラブ人地区で食べた魚料理。マスだったと思いますが黒焦げで、やはり日本の焼き魚にはかないません。それでもガリラヤ湖畔のピータースフィシュはからっと揚げてあり、美味しくいただきました。

2011年2月11日(金) 031 2011年2月14日(月) 402

イスラエル滞在中に一番のご馳走だったのはルツ先生に連れていっていただいた地元の中近東料理の食堂のような店。ここの肉はやわらかく美味でした。ちなみに右のスープはレンズ豆のスープだそうで、これでエサウは長子の権利を失ったということで(創世記25章29節‐34節)、なんとも感情移入していただきました。

Israel day 1,2, 089 Israel day 1,2, 087

屋台のような店でも何度かお世話になりました。

2011年2月22日(火) 001 2011年2月22日(火) 130

一度だけ食べたエルサレムのJレストラン、「さくら」のピータースフィッシュの刺身と(これはオーナーがサービスしてくださいました)エルサレムロール。中の三種類の魚の具はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教をあらわしているとか。さすがエルサレム!

2011年2月12日(土) 036 2011年2月12日(土) 037

エルサレム旧市街では時々、路地裏のカフェでやすみました。これはアラブ地区のカフェ。男達が水タバコを吸いながら、カードをしていました。コーヒーはなぜか生姜味。なんとも言えぬ男だけの世界です。

2011年2月13日(日土) 094

我らがキッコーマンがなんとも凛々しく、頼もしく見えました(笑)。

2011年2月13日(日土) 074

以上、体調をくずすこともなく日々、守られました。感謝!

マック