旅を終えるにあたり

さてべエルシバを立って、ハランへ向かったが、一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。・・・ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」 聖書:創世記28章

「いつか」は大抵やってこない。

いつの頃からか、自分の心の中にいつも引っかかっていた言葉です。なぜなら、自分はいつも真っ先に「行けない理由」というものを考えるからです。そして「行けない、行かない理由」というのは「いつでも」何かしらあるので、そこだけに目を向けているならば、やはり「その時」はやってこないのです。私はそんな「いつかイスラエル」を15年以上、抱えていました。特に私はどうしても一人でイスラエルを回りたいという思いがありましたので、諸々のことを考えるといくらでも「行けない理由」というものは出てきました。

しかし、この度、サバティカルをいただき、覚悟を決め、イスラエルという国を回ることができたことは、私の生涯の何にも代え難い財産となりました。実際に、この旅を終えるにあたって、しみじみ思うことは、このような旅は五年後には気力面、体力面で無理だったろうなという実感です(アラフォーおやじがバックパックを背負ってっていうのは街でもうきます・・・笑)。後にも先にもまさしく最もよい時に神様は導いてくださいました。

旅の前半には先輩の柿内ルツ先生に貴重なアドバイスをいただき、バプテスマのヨハネの故郷、ベツレヘムに連れていっていただいたことは、この旅の大きな収穫でした。さくらレストランで食べました「エルサレム・ロール」の味は忘れられません。これからも当地でのミニストリーを主が祝福してくださいますように。本当にお世話になり、ありがとうございました。

このために敬愛しますサンディエゴ教会の兄弟姉妹のご理解と祈りと支えをいただきましたことに心よりお礼を申し上げます。「先生が行かれると聞いて、喜んでいます」という言葉は私の背中を押してくれました。皆さんの祈りがなければ、この旅を続けることはできなかったと思います。留守の間も執事、理事をはじめ、いつものように真実にその任に当たってくださっているリーダーが与えられていること、何の心配もなく、日夜歩き回ることができました。また吹上先生をはじめ、留守の間、メッセージを取り次いでくださいました中川師、大谷師、本多師、中島師に心より感謝します。主がそれぞれの先生をお用い下さって、教会の方々はいつもとは違うメッセージに大きな祝福を受けたこと(受けることを)確信しています。

そして、この拙いブログを読んで、祈り、実際に励ましてくださった方々、本当にありがとうございました。不精な髭ずらおやじの顔写真が並び、「まいった!」という方もいらっしゃるかもしれませんが、ご勘弁を。もしクリスチャンでない方達が読んでいてくださったのなら、これを機にバイブルを読んでみてください。この旅では度々、「考古学者は聖書記事を頼りに掘る。すると、そこから出てくる」という言葉を聞きました。聖書は御伽話ではなく、史実であり、今もそのHis Storyの中に私達は生きているということを、現物を見て回ったものとして、私、マック、ネゲブの砂塵をかぶった頭を振って証言します。この聖書には私達が生きる指針が記されています。

そして、愛する家族に感謝します。四十を過ぎてこのような旅をすることを快く受け止め、「あなたは今、行くべきだ」と励ましてくれた妻、時にスカイプで顔を見せ、他愛もない会話をして、とかくストイックになりがちな一人旅に潤いを与えてくれた子供達に心より感謝します(どういうわけかいつも君達は風呂あがりだったね 笑)。

そして、何よりもこの小さき者を最後まで守り導いてくださいました天の父なる神様に感謝します。トラブルが何もなかったという背後には、どれだけあなたの守りの御手と御愛があったことでしょうか。この旅の間中、私はいつもあの放浪したヤコブに注いでおられたあなたの大きな愛を感じていました。右も左も分からない者の旅を見守ってくださいましたことを感謝します。あなたが選んだ人達とその風土をもったこの国で、あなたがなされた数々の御業の跡を見させていただけましたこと、これはまさしく私にとってLife Time Experienceとなりました。この間にすっかりやけ、体重も減りました(最善!笑)。でも、心はあなたにある平安と喜びで満ちています。

この二週間あまりの間だけでもイスラエルの近隣諸国は揺れに揺れています。主が許してくださるのなら、次回、この国を訪れる時、今回と同じような平和がこの国にありますことを祈ります。アブラハム、イサク、ヤコブの神が、これからもこの国と共にあり、この国を祝福してくださいますように。

ヨッパにて                                                               シャローム                                                              マック

追伸;

わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。詩篇121篇

2011年2月20日(日) 120

旅はこれからも続く・・・。主が名を呼んでくださるその日まで。

ヨッパでわしも考えた

2011年2月22日(火) 169 「神がきよめたものを、きよくないなどと言ってはならない」(使徒行伝10章15節)

ヨッパといえば使徒行伝10章を思い出します。ここにはこの時、ペテロが夢を見た「皮なめしシオンの家」があります。実際に今、その家には地元の人が住んでいて、門には表札がかかげられており、中には入れませんでしたが、外からその屋上の間を想像しました。

この旅の最後がここでしめくくられることに感無量です。思えばここにいたるまでペテロの住んだカペナウムの家、ペテロがイエス様を三度否んだというエルサレムのピラトの官邸、そして、イエス様がペテロにあらわれたガリラヤ2011年2月22日(火) 174 湖畔をめぐってきました。そ の彼がここヨッパで、それまで閉ざされていた異邦人への扉を開いていく夢を見たという、その現場こそがここなのです。ここからクリスチャニティーは世界へと産声をあげたのです。

まさかペテロはあのガリラヤの田舎で、こんな人生を送ることになるとは思いもしなかったことでしょう。彼という人にとてつもない使命とビジョンが与えられたということ、それをよしとされた父なる神様をあがめます!

ただ聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1章8節)

マック

べエルシバでわしも考えた

2011年2月22日(火) 068 「・・・わたしが井戸を掘ったことの証拠としてください。これによってその所をべエルシバと名づけた。彼らが二人でそこで誓いをしたからである」 (創世記21章30節、31節)。

べエルシバの遺跡(世界遺産)には、この創世記に記されているアブラハムが掘ったと言われている井戸がある。この井戸は70メートルの深さがあると説明書きがあった。いったい全体、彼はその井戸のためにどんなに長い時間と大きな労力を使ったのだろうか。

今回の旅ではこのようなテル(丘)と呼ばれる遺跡をいくつも見てきた。その2011年2月22日(火) 081 中で一つのことに気がついた。それはどれも敵からの侵入を防ぐために強固 な城壁を築いているということ。そして、その城壁内に大変な労力をもって深い穴を掘り、水を確保していたということだ。これはメギド、ハツォール、そしてマサダでも見受けられたし、ダビデの城壁の中にも多くの犠牲をはらって、見事な泉へのトンネルが掘られていた。言うまでもなく、水は命のもとであり、どんなに堅固な城壁が築かれていても城内に水がなければ、陥落は時間の問題だからだ。

ゴラン高原にしても、なぜ、あの場所が最重要な土地となったかというと、ゴランを制するものがヘルモン山からヨルダン川へ流れ込む水、そしてガリラヤへ流れる水源をおさえることを意味するからであり、それはイスラエルにとってどんなに犠牲をはらっても死守すべき土地だからだ。

話は少し変わるが、死海、ソドムのテントで一夜を過ごした時に、毎晩しているようにその日に着ていた服を洗い、外に干した。すると30分もたたずに完全に乾いてしまったのだ。カリフォルニアも乾燥しているが、ここの比ではない。常時、水を飲んでいなければ、ここでは瞬く間に脱水症状におちいってしまう。しかも、それでも今は冬なのだから、夏の死海を考えたら目まいがする。どれだけ、この国で水が貴重なものであるかということを思う。

この厳しいこの国の現実は雨が降っていてもスプリンクラーを回しているような国から来た者にとってはアイオープニングなこととなった。すなわち、これまで私が聖書に記されている言葉として話していた「水」とか「渇く」という言葉は、本当の意味での「水」ではなく「渇く」ではなかったということだ。

ヨハネ4章においてイエス様がのサマリアの女に言われた「この水を飲む者は誰でも、また渇くであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、渇くことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命にいたる水がわきあがるであろう」(ヨハネ4章13節、14節)という言葉がどんなにこの女には驚異的なものであったのかということを私は本当の意味において理解していなかったのではないかと思う。ヨハネ黙示録20章6節にいたっては「渇いている者には命の水の泉から価なしに飲ませよう」という言葉があるが、水を得るためには時に命までもかける人間と自分とでは、この言葉を受け止めるその心に大きな隔たりがあった。

このような経験はこれからの自分にとって宝となると思う。

マック

 

 

 

暑き死海より

ラケルおばちゃんの宿には毛布がなく寒くて起きました。でも、ここはソドム、ソドム、オーケー、オーケー。起きて分かったんだけれど、ここって歩いて3分でヨルダンなんじゃありませんか。またまたここでも地雷注意のマーク。この柵の向こうはヨルダン王国。片足だけ入れてしまおうかという誘惑にかられましたが、実はここは側の崖の監視塔から見られています。

2011年2月19日(土) 014

今日はまずマサダへ。山頂までけっこう傾斜があるので、ケーブルカーが出ていますが、ここまで来たのだからと行きも帰りも歩きました。いやー疲れたね、汗だくでした。

2011年2月19日(土) 086

イスラエルでは今まで日本のツアーには会わなかったのですが、久しぶり日本語が聞こえてくる。そして、その先にはな、なんと中野めいこ先生ご一行。ここはワイキキビーチではなく、マサダ山頂です。普通、ここでは会わないでしょ(笑)。旅の安全をお祈りしています。

2011年2月19日(土) 057

よくぞここで二年も持ちこたえたなと思い巡らしながら、歩きました。場所が場所だけに、今でもここでイスラエル軍の入隊式がもたれるそうです。もともとはヘロデ王の離宮だったということで、サウナの施設まで作られていました。こんな荒野の、こんな高い所で、サウナとは、ヘロデよ、あなたっていう人は・・・。

2011年2月19日(土) 062 2011年2月19日(土) 083
2011年2月19日(土) 109 2011年2月19日(土) 111

昨日こけたのと、今日のマサダ登頂で体が泣いているので、少々、死海浴で体をやすめました。沿岸の泥を体に塗るといいということで、隣のイタリア人のおじちゃんと競り合って、全身に塗りたくりました。ちょっと腰痛がとれたような(笑)。

2011年2月19日(土) 161 2011年2月19日(土) 162  2011年2月19日(土) 163 2011年2月19日(土) 198

ところで、この死海近辺というのは高級リゾート地になっていて、大きな資本のホテルはあるのですが、どこも予約はいっぱい、値段も私には手が出ないのです。そこで、昨晩のラケルおばちゃんとなりました。そして今晩はベドウィンテントです。どうやら宿泊客は私一人のようで、なんとも貴重な体験となりそうです(それでもネットがつながっていることに感激)。マットレスがきれいだとか、汚いとか、ダニがいるとか、いないとかは言っていられません。ただ身を横たえられるか否か、それだけです(笑)。朝、健やかに目覚められるようにお祈りいただけましたら幸いです。

2011年2月19日(土) 211 2011年2月19日(土) 210

「さて、ヤコブはべエルシバを発って、ハランへ向かったが、ひとつ所に着いた時に、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、そのところの石をとって枕とし、そこに伏して寝た・・・。・・・まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」 創世記28章10節、16節

明日はモーセとイスラエルの民がさ迷ったネゲブ砂漠に向かい、その後べエルシバに行きます。

シャローム!

マック

 

 

死海でわしも考えた

「神よ、鹿が谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。わが魂はかわいているように神を慕い、生ける神を慕う」 詩篇42篇1,2節

昨日、乾かなかった靴下を車内干ししながら、死海へ向かう。海抜マイナス400メートル、あっという間に乾きました。

2011年2月17日(金) 040

まずはダビデがサウル王から逃れた死海の沿岸にあるエンゲディへ。ここにはダビデの滝があります。まさしく詩篇42篇の世界。実際に山鹿も生息していました。ダビデ、この滝を見つけた時は本当に嬉しかっただろうな。このまわりは全く死の陰の谷ですから。

 

2011年2月17日(金) 100  2011年2月17日(金) 167

ダビデの気持ちとなり、サウルに追われているかのように、自分ならこの辺りに隠れるかななどと考えながら、山を登っていたら、派手にこけました(こりゃ、すぐ捕まるわな 笑)。しかし、こんなところまで追いかけてくるサウロの執念、その心はそうとう病んでいたんだろうね。

2011年2月17日(金) 161

そして、今晩の宿となるソドムへ。これはお決まりのロトの妻の塩岩。本当だとは思わないけれど、なんとも語りかけてくる哀しい岩です。

2011年2月17日(金) 193

実はこの日の宿は見つからず、途方に暮れていた時に、ラケルというおばちゃんが民宿の一部屋を開けてくれたのです。場所が場所だけに創世記19章を思い出し、夜になって・・・なども想像しつつも、あっという間に爆睡しました(笑)。おばちゃん、一応、部屋の鍵があるからとくれたのが、この鍵。いまどき、こんな鍵はないでしょう(笑)。でも、ここはなんといってもソドムですから、オーケー、オーケー。

2011年2月17日(金) 230
マック

 

2011年2月18日、朝、ガリラヤ湖畔にて

2011年2月17日(金)ガリラヤ朝焼け 075
「わたしはよみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」マルコ14章28節

2000年前の「夜があけた頃」(ヨハネ21章4節)と全く同じ状況のガリラヤ湖畔。今朝、わたしはなぜ、主イエスが弟子達(ペテロ)に「ガリラヤに行く」といわれたのかが分かった。

その時、弟子達が目の前の湖で一晩中、漁をしている姿を想像してみた。一晩中、はたらいても何一つとれなかったその徒労感を想像してみた。主イエスが火をおこし、魚を焼いていてくださるその姿を想像してみた。三度、主を否んだペテロがその主の前に座っている姿を、その彼の気持ちを想像してみた。そして主の一つ一つの言葉を思い巡らした。

その間中、ガリラヤ湖は刻一刻とその色を変えていった。鳥達が静かにさえずり、時折、魚が湖面を揺らす。そして、ついに陽がのぼった。それまで肌寒さを感じていたのだが、その時から太陽のぬくもりを感じた。冷えた体がじょじょに、じょじょに、温かくなっていく。ガリラヤは昨日と変わらず静けさを保ち、その湖面はやわらかく、やさしさで満ちている。そこは父なる神の愛で完全に包まれている。わたしは神に完全に包まれ、完全に愛されている。

きっとペテロもこれと同じ光景を見て、主の言葉を聞いたのではなかろうか。だから・・・、なぜ、主が「ガリラヤへ行く」と言われたのかが、今朝、本当によく分かった。

マック

追伸:このことを知ることによって、なぜ主が「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい」(使徒行伝1章4節)と、その時は「ガリラヤ」ではなく、「エルサレム」と言っているのかも分かった。ここは弟子達が記念すべき聖霊を受ける最初の場所ではない。それはエルサレムであるべきなのだ。

ガリラヤ温泉につかる

2011年2月17日(金) 188 2011年2月17日(金) 190

2011年2月17日(金) 195 ガリラヤ湖畔の町、ティべりアには温泉がある。紀元100年のローマ貨幣にはこの温泉の絵が彫られていたというから、イエス様も知っていたかもしれない。こんな温泉があると知っていながら、私は素通りすることはできない。

この温泉はガリラヤ湖畔にあり、湯船(というかプール)から湖を観ることができる。泉質は塩味がしており、体が浮くので、この度の旅を思い出しつつ、しばし空を眺めて浮かんでいた。

夕暮れから闇夜につつまれるにつれて、地元のおじさんやおあばさん、子供を連れた親子がやってきて、皆が世間話に花を咲かせている。そんな光景を見ていると、全然言葉は分からないけれどなんとなく嬉しくなってくる。皆、風呂につかってしまえば、同じなのだ。二時間ぐらいはいたであろうか、外に出ると夜風が気持ちいい。濡れたタオルを頭にのせて、アイスを食べた。まったくこの感覚は熱海と変わらない。

ふと、夜空を見上げるとこれまでに見たこともない美しい月、そして、きらきら輝くガリラヤ湖(こういうのを「美しい」っていうんだ)。ガリラヤを発つにあたって、神様はこんな粋なはからいをくださった。

2011年2月17日(金) 200
旅は続く.

シャローム。

マック

ゴラン高原にて

昨日、断念したゴラン高原へ。右はシリアまで2キロという道を北上(左はすぐそこにレバノンがあります)。

2011年2月17日(金) 014 2011年2月17日(金) 044
2011年2月17日(金) 054 2011年2月17日(金) 064
2011年2月17日(金) 068 行けども行けども無数の「地雷に注意」の                     黄色い看板が続きました。また、あちこち                    にシェルターがあり、道の両脇にはところ                       どころ有事の時に道をふさぐために岩が                         並べられていました。

「イスラエル」という国について考えながら                    ハンドルをにぎりました。

マック

 

稀有の体験

2011年2月14日(月) 1322011年2月14日(月) 050

2011年2月14日(月) 053 2011年2月14日(月) 109

朝、最後だからと聖墳墓教会に行き祈り、エルサレムに別れを告げる。レンタカーを借り、「よきサマリア人」のたとえ話を思いながらエリコへ。このエリコはパレスチナ自治区の中にありパスポートを見せて入る。そこは全くのアラブ世界。UNの車なども町をはしっており、ふと我にかえるとなんともすごい所を運転しているんだなと感じつつ(ここは車の保険がききません)、少し警戒。そこにはエリシャの泉、エリコの城壁、ザーカイの木、またそれらを見下ろすようにイエス様が荒野での誘惑を受けられた険しい山がある(ここはケーブルカーで上れる)。嘆きの壁でもそうだったけれど、こちらでは皆が祈りを書いて、石の間にはさみこむ。私はここで「私自身、家族、そして教会の兄弟姉妹が諸々の誘惑から守られますように」という紙を書いて岩の中にねじりこんできた。

2011年2月14日(月) 174 その後、羊を引き連れているベドウィンといくつもすれ違いながら、死海を前にした荒野の中にエッセネ派の人達が築いた共同体、クムランへ。この場所の「あの穴」を知らない人はいないだろう。まさしく「その時、歴史が動いた」、その現場。この遺跡には、いたる所に自らをきよめるための水浴場があり、彼らがどんなに世俗と離れてきよくあろうとしていたかということがうかがい知れる。ここにはバプテスマのヨハネもいたと言われており、このような中での生活を彼らはどんな気持ちで過ごしたのだろうかとその後、ドライブをしながら考えた。 この荒涼とした景色はガリラヤが近づくと美しい緑の野へと変わっていく。

2011年2月14日(月) 199 イスラエル東側には南北にフリーウェイ90がヨルダンのボーダーと平行して通っており、右のヨルダンの町を眺めながら、北上。途、「洗礼場」というサインがでていたので立ち寄ってみる。そう、これがヨルダン川。イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けた川です。ここにいたるまで、国境の緩衝地帯を通ってきました(警備していた軍隊のお兄さんに交渉して入れてもらいました)。この川の向こう岸はヨルダン王国です(今、分かりましたがここはバプテスマのヨハネの洗礼場所だったのですね。今回、お世話になりましたルツ先生のブログより確認

途中、検問があり、わきに連行され、車の底、エンジンから荷物の中まで、20分ぐらいかけて全て調べられました。レンタカーということで、私の前に誰が借りているか分からないからなのか、ライフルを抱えた兄さんを眺めながら考えました。

日が暮れてから今週、四日間を過ごす宿に到着。まさしく「思えば遠くへ来たもんだ」の世界。ここから車で3分の隣村はマグダラのマリアの故郷です。私の部屋から20メートル先にガリラヤ湖があり、気持ちのいい夜風と共に蛙の鳴き声を聞きつつ、これを打っています。ペテロとイエス様が焚き火を囲んだように、ここでは、あちこちイエス様と弟子の歩みをゆっくりと追いながら、静かに主と向き合いたいです。

マック

2011年2月14日(月) 186 追伸:一人旅に仲間が加わりました。ヒュンダイの小型車、ヒュンちゃん(このツーショットの先、柵の向こうはヨルダンです)。これからガリラヤ周辺、ヘルモン山からネゲブ砂漠まで、がんばってくれよ。よろしく!

追伸:写真、皆、同じポーズでいかついですが、これは一人旅の宿命です。一人撮りですから、どうしてもこうなってしまうのです(笑)。

 

エルサレム

2011年2月13日(日土) 198 一週間のエルサレム滞在もあっと言う間に終わり、今日、これからガリラヤに向かいます。この一週間、朝、宿を出たら日が暮れるまで、考えてみたら一日約10時間、延べ50時間、歩いていたことになります。とにかく色々なものを観て(気になる場所には何度か行き)、色々なことを考えました。

今、エルサレムが舞台となっている聖書の言葉を読むと「これはあそこ、あの辺りだ」とその場所のにおいや空気の感覚まで思い出します。何にも変えがたいエルサレム滞在となりました。今回の旅ではここには戻らないけれど、自分の人生全体で考えるならば、この滞在はホーリーランドのイントロダクションということになります。また戻ってきます。ありがとう、エルサレム。

神様のご加護がこの都にありますように。シャローム!