イエス様は多くの譬え話を語りました。これらの譬え話の中には大工であった父ヨセフの後ろ姿を見ながら育ったイエス様を思い起こさせるものがあります。
あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まず、すわってその費用を計算しないだろうか。(ルカ14章28節、)
夜、遅くまで仕事の採算を計算するヨセフ、家計のやりくりを母マリヤと語るヨセフの声をイエス様は寝床で聞いていたことでしょう。自分の仕事や家庭に対して忠実であること、勤勉であることを、ヨセフの背中はイエス様に見せたことでしょう。
わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。(ルカ6章46節ー48節)
イエス様はヨセフから家を建てる時の土台の大切さについて、聞いていたことでしょう。そのために岩を掘り下げ、土台を築いている父の額の汗を見たことでしょう。勤勉や誠実であることが公になったり、ニュースになることはありません。そこにスポットライトは当たりません。しかし、このことこそが最も大切なところなのです。
私たちの日常は同じことが繰り返される日々です。ある人はそれを「退屈」と呼ぶかもしれません。その退屈に耐えられなくなることがあるかもしれません。「刺激や快楽を求めたらいい」という囁きが聞こえてくる時があるかもしれません。「妻子のことはいいから、お前が好きなような人生を送ればいい」という囁きが聞こえる時があるかもしれない。しかし、それらに目もくれずに愛する者達を守るために、その日常に誠実に向き合い、汗を流す。そのことに今日も明日も心を尽くしていく。
きっとヨセフはそのような男だったのだと思います。そして、神はその彼の真実な心に目をとめたのです。数多くいる男の中から、神はその一人子、イエスをヨセフに託したのです(大倉)。
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